2018年10月19日

大山は「おおやま」にあらず(1)

 出雲大社に参拝した後、一畑電車で出雲市駅に出て、特急やくもで米子駅に戻ってきた。送迎バスに乗って、大山の麓に向かった。ホテルは他の建物がない丘の上にあった。
 大山は「だいせん」と読む。伯耆国にあるのが「だいせん」で、麓に建つ寺院は大山寺(だいせんじ)。大山は長らく活動を停止しているが、れっきとした火山である。一方、相模国にあるのが「おおやま」で、こちらは普通の山。中腹にある寺院は大山寺(おおやまでら)。どちらの寺も修験道が盛んだったため、明治政府から目の敵にされた。大山寺(だいせんじ)は天台宗、大山寺(おおやまでら)は真言宗に属している。
 さて、弱アルカリ性の温泉に浸かり、夕食を終えると、疲れが出て眠ってしまった。時計を見ると、午後十一時半だった。友人を起こしてもう一度入浴。部屋に戻ると、夜空は晴れていた。電気を消すと、流れ星も見えた。満天の星である。(つづく)


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2018年10月16日

塔田創の『平成うろ覚え草紙』

 谷崎潤一郎は小説の中に、現実には存在しない書物を引用するように見せかける手法で、『武州公秘話』と『春琴抄』を書いている。勿論、本物らしい擬古文も作って、わざわざ注釈までつけている。これは小説というフィクションの枠組みの中で行った谷崎流のレトリックなのである。
 今回紹介する『平成うろ覚え草紙』は、安政七年に歌川芳細(よしこま)という絵師によって書かれ、幕府に発禁扱いされた古書が、大学の文学研究センター所属の教授によって現代語訳されたというスタイルを取っているが、実はこれも偽書を作っている点で、谷崎がやったことに近い。ただ、こちらは小説ではなく、世にも珍しい古書が発見されたと、読者を担ぐために書かれたのである。原文と現代語訳を併記するのではなく、現代語訳しか載せていないのは、塔田氏がイラストレーターで、江戸時代の草紙を模倣する点に力を入れているためだろう。
 草紙には歌川芳細がタイムトリップして、平成の世の風俗を江戸時代の人間の目で見たという絵が、いかにも当時の草紙らしく描かれている。その凝りようは、絵の説明に変体仮名を用いている点にも表れている。江戸時代の草紙を普通の人が読めないのは、当時は漢字の草書体を仮名とした、多数の異体字が存在したからである。
 冬至老神は、恵比須様のような神が、大きな袋を背負って、角の立派な鹿に乗っている。これはサンタクロースのことだろう。雪板滑はスノーボード、南瓜祭はハローウィン、揚蕎麦はインスタントラーメン、男の妓楼はホストクラブといった具合で、絵と説明から現代の何に当たるか当て物をするといった趣向である。
 精巧に作られているので、途中まで本物の草紙だと、僕自身も騙されていた。でも、余りに出来過ぎているから、途中でおかしいと気がついた。何で騙されたかというと、実在する絵師歌川国芳の「東都三つ股の図」に、東京スカイツリーらしきものが描かれていると、話題になったことが頭にあり、歌川芳細という架空の絵師と実在する国芳を混同していたからである。


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2018年10月15日

出雲大社に三重塔?(4)

 宝物館に入った。そこには古代の神殿を支えていた、三本の大木を寄せた大柱の発掘された現物や、高さ五十メートル近かった神殿の模型も展示されていた。現在の境内だけ見ていると、信じられないかもしれないが、古代には木の陸橋が高層ビルの高さの神殿まで伸びていたというわけだ。鳥居を抜けて坂道を下る参道も、天上の神殿へ向かう陸橋があったことを考えれば、納得がいくのではないか。
 平安時代以降、神仏習合の影響で神社は寺院の支配下に入る。日本の神は仏が仮の姿で現れたものだとする本地垂迹説が広まる。伊勢神宮や出雲大社のような、日本を代表する神社も例外ではなかった。戦国時代には尼子経久が、出雲大社の境内に三重塔を建立した。その姿は江戸初期の絵図には描かれている。しかし、将軍徳川家綱の時代には除かれたという。
 明治の初めに日本を席巻した、廃仏毀釈の走りと言えるだろうか。確かに仏教色を除いた点では同じである。ただ、これは神仏分離であって、三重塔を破却したわけではない。兵庫県養父(やぶ)市の名草(なくさ)神社は、出雲大社の遷宮に巨木を奉納した謝礼として、解体された三重塔が移築されたのである。せり上がった茶色の屋根に朱塗りの柱、白壁のコントラストが美しい仏塔である。


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