2018年09月14日

坂口安吾の「白痴」

 坂口安吾は子供の頃から、型にはまった生き方を嫌っていた。学校の授業を嫌って中学校で落第。その代わりに、スポーツには熱中していた。父の死後に文学に目覚め、仏教を研究しようと、東洋大学印度哲学科に入学。在学中にアテネフランセにも通い、知り合った友人たちと同人誌を創刊した。昭和6年25歳の時に、牧野信一に「風博士」を激賞されたことで、作家としてデビューを果たした。ただ、本領を発揮したのは、戦争体験を経てからなのではないか。「白痴」は戦争の極限状態を描いた短編で、終戦の翌年に発表された。

 新聞記者の伊沢が住む町には、欲にまみれた俗人と狂人が住んでいた。軍部におもねった記事を書く仕事を、賤業中の賤業とさげすみ、自己嫌悪に陥っている。かといって、会社をやめたら煙草が吸えなくなると思っている。ソクラテスは「無知の知」を語ったが、伊沢の場合は俗悪な自他を見つめることで、極限の先に聖をかいま見ようとする。
 ある日、白痴の女が伊沢の部屋に潜り込む。女は伊沢に好意を抱いて逃げ込んできたのだった。伊沢は迷惑に感じながらも、無下にはできずにかくまってやる。しかし、女を部屋に隠しているのを知られたらと恐れる点では、いまだ俗人なのである。
 すべてを焼き尽くす空襲が、世間の常識や思惑も破壊していく。どんな極限状態にあっても、人間は生きている限り、現実を見つめる目を持つことができる。焼夷弾の雨の中を逃げ惑う間、白痴の女も一時的に正気を取り戻す。抱き合うことで人間らしい気持ちがよみがえってくる。かといって、女を愛しているわけではない。女を捨てるだけの張り合いがないだけだった。
 自分の内心を突き詰めていけば、世間で持てはやされる物語など、絵空事のように感じられてしまう。極限に立って、あらゆる欺瞞を退けて見つめることが、坂口安吾の文学的姿勢なのだろう。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 03:32| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ぼくはネコなのだ(pdf)

 夏目漱石の『吾輩は猫である』のパロディーです。のらネコの兄弟が母親に見捨てられた後、もう若くない兄妹と老母の家に棲みつく中であった事件を、ユーモラスに描きました。子ネコが成長する姿を楽しんでいただけたらと思います。ネコ好きの方は、ぜひご覧ください。
 今回はパソコンですぐに開けるpdfをアップロードします。Adobe Acrobat Readerの「フルスクリーンモード」だと、バーチャルな書籍がモニターに再現されます。以下のリンクからダウンロードしてください。
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