2018年07月17日

吉行淳之介の『原色の街』

 原色とはどぎつい色である。娼婦とそれにむらがる男の、性と金に対する欲望丸出しの世界を描いている。主人公のあけみは、本来なら売春の世界と縁がないはずの女だったが、男たちに向けられる欲望の目に耐えられず、それに無感覚になるために、金で体を売る世界に入った風変わりな女である。そんな彼女が元木英夫という男に、自分の内面を理解してもらったという思いから、性の喜びに目覚めて娼婦の色に染められていく話である。
 ただ、元木はあけみを愛しているわけではなく、瑠璃子という婚約者のいる男である。あけみは元木に拒絶されていることで、肉の喜びに燃えていく。そんなとき、早苗という娼婦が殺されるという事件があり、この世界から足を洗いたいという思いから、心ならずも薪炭商からの求婚に応じてしまう。
 ところが、相手の男はあけみが娼婦だったことを隠すことしか頭になく、あけみは相手への嫌悪感を募らせる。それととともに、元木への抑えがたい思いにもだえ、衝動的に元木の体に倒れかかって海に落ちる。二人は助けられるが、あけみは娼婦の世界に戻っていく自分を感じる。
 物語の概略はそんなところである。実際には、あけみや元木、あけみの同僚である春子や蘭子しか知ることがないはずの描写もされている。これは「神の視点」、視点論では「全知視点」で描かれた作品である。娼婦やそれに群がる男たちの欲望を、原色の絵の具で描いた風俗画のようである。
 手法としては古めかしい。現代の作家なら、「三人称限定の視点」で、あけみの視点、あけみの目に映る世界からのみ描き、読み手と「視点人物」であるあけみとの「同化」を促す。語り手は黒子のように、物語への介入を避ける。あけみになったような錯覚をもたらすことが、読み手の鑑賞を深めるからである。
 ただ、この手法にも限界がある。「視点人物」が女性で、自覚できない欲望に駆られている場合、語り手はそれについての解説を加えなければならなくなる。それによって、語り手による物語への介入が起こる。そのとき、語り手はあけみに取り憑いたかのように、女の肉感について語り出す。どこまでがあけみの感覚で、どこからが語り手の解説か、判断に迷うような描写が続く。
 最近は読み手の立場に立った「視点」ではなく、ジェラール・ジュネットの物語論による「焦点化」、語り手が物語世界に対し、焦点を絞っているか否かで、小説を分類することが多い。すると、吉行淳之介の『原色の街』は、「焦点化ゼロ」に分類されてしまう。客観的な分析方法としては優れているが、自分としては読み手の鑑賞という観点からの分析にこだわりたいと思っている。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 03:15| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする