2018年07月18日

神々が降臨した地(5)

 岩の表面はうっすらと苔むし、所々シダが生えている。その上には、刺身の切り身のような形の岩が、幾重にも重なっている。とてもこの世に属する空間とは思えない。日本人の魂の深層に流れる川を、小舟で漕ぎ進むかのような。流れはほとんどないので、櫓を止めて微かに漂う岩の薫りを嗅ぐ。
 安らぎの時は長くは続かなかった。ボート乗り場に戻ると、遊歩道まで上っていき、先ほど漕いだ淵を見下ろした。ボートでの恍惚はすでに遠ざかり、過去のイメージのように結晶化が始まっていた。それにしても、上から眺めても飽きることがない。絶景だな。日本が誇れる風景だと思う。
 遊歩道の槍飛橋を過ぎ、高千穂大橋の手前で石橋を渡った。階段をぐっと上って高千穂神社の裏手に出た。境内の手前に種田山頭火の句碑があった。

 分け入っても分け入っても青い山(つづく)


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2018年07月17日

吉行淳之介の『原色の街』

 原色とはどぎつい色である。娼婦とそれにむらがる男の、性と金に対する欲望丸出しの世界を描いている。主人公のあけみは、本来なら売春の世界と縁がないはずの女だったが、男たちに向けられる欲望の目に耐えられず、それに無感覚になるために、金で体を売る世界に入った風変わりな女である。そんな彼女が元木英夫という男に、自分の内面を理解してもらったという思いから、性の喜びに目覚めて娼婦の色に染められていく話である。
 ただ、元木はあけみを愛しているわけではなく、瑠璃子という婚約者のいる男である。あけみは元木に拒絶されていることで、肉の喜びに燃えていく。そんなとき、早苗という娼婦が殺されるという事件があり、この世界から足を洗いたいという思いから、心ならずも薪炭商からの求婚に応じてしまう。
 ところが、相手の男はあけみが娼婦だったことを隠すことしか頭になく、あけみは相手への嫌悪感を募らせる。それととともに、元木への抑えがたい思いにもだえ、衝動的に元木の体に倒れかかって海に落ちる。二人は助けられるが、あけみは娼婦の世界に戻っていく自分を感じる。
 物語の概略はそんなところである。実際には、あけみや元木、あけみの同僚である春子や蘭子しか知ることがないはずの描写もされている。これは「神の視点」、視点論では「全知視点」で描かれた作品である。娼婦やそれに群がる男たちの欲望を、原色の絵の具で描いた風俗画のようである。
 手法としては古めかしい。現代の作家なら、「三人称限定の視点」で、あけみの視点、あけみの目に映る世界からのみ描き、読み手と「視点人物」であるあけみとの「同化」を促す。語り手は黒子のように、物語への介入を避ける。あけみになったような錯覚をもたらすことが、読み手の鑑賞を深めるからである。
 ただ、この手法にも限界がある。「視点人物」が女性で、自覚できない欲望に駆られている場合、語り手はそれについての解説を加えなければならなくなる。それによって、語り手による物語への介入が起こる。そのとき、語り手はあけみに取り憑いたかのように、女の肉感について語り出す。どこまでがあけみの感覚で、どこからが語り手の解説か、判断に迷うような描写が続く。
 最近は読み手の立場に立った「視点」ではなく、ジェラール・ジュネットの物語論による「焦点化」、語り手が物語世界に対し、焦点を絞っているか否かで、小説を分類することが多い。すると、吉行淳之介の『原色の街』は、「焦点化ゼロ」に分類されてしまう。客観的な分析方法としては優れているが、自分としては読み手の鑑賞という観点からの分析にこだわりたいと思っている。


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2018年07月16日

神々が降臨した地(4)

 ボート乗り場へ行ってみることにした。小道をたどって谷底まで下りていく。成人してから一度も漕いでいないので、どうしようかと思ったが、乗らなければ素晴らしい光景も目にすることができない。
 思い切って借りたのだが、案の定、漕ぎ方を忘れてしまっていた。しばらくは逆方向に進んだりして戸惑ったが、ようやく要領をつかんだ。五ケ瀬川は深い緑色で、切り立った両側の崖は、陽光が射し入るのを遮っている。刃物ですぱっと切り落としたかのように、岩の表面は平らで、三角、四角、または台形の石柱が屏風状に連なっている。
 石の橋を過ぎると、薄暗い淵に真名井(まない)の滝が清冽な水が注いでいる。これは天孫降臨の際に、天村雲命(あまのむらくものみこと)が天より水種をもたらした姿を写している。神々が切り刻んだ刃のような天然の彫刻は、阿蘇山が巨大噴火を起こしたとき、押し寄せた熔岩が川の流れで急速に冷やされたもので、上流の窓ノ浦から下流の吐合(はきあい)まで続いている。(つづく)


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