2018年07月21日

WALKMANでヘミシンクを聴く

 WALKMANはジャズをいい音で聴くために買ったのだが、クラシック音楽をコンサート会場の雰囲気でも聴けるので、若い頃に好きだったドビュッシーやラヴェル、ラフマニノフなども聴き直した。喜多郎の『シルクロード』を「リラックス」モードで聴くと、これまた癒しの効果が高い。
 ヘミシンクに関しては、エフェクトをすべて外さないと効果がないと言われているので、WALKMANでは聴いてなかったのだが、ClearAudio+のみをオンにして、モンロー研究所の《ゲートウェイ・エクスペリエンス》のTを聴いてみた。ファイルはもちろん、可逆圧縮されたものを用いた。
 ハイレゾ相当に補完されるため、迫力が半端ない。もちろん、ハイレゾ用のイヤフォンで聴いたのだが。「レゾナント・エネルギー・バルーン」を作る練習では、音の波が何度も背筋を上って頭頂に抜けるので、まるでクンダリーニが覚醒させられるような感覚になった。
 へミンシクは左右から異なる周波数の音を聴かせて、脳波を変性意識に導いた上で、言葉による誘導瞑想を行う。自己催眠にかけているようなもので、「体外離脱」したくてやってる人が多いらしい。僕は何度か体験したが、大抵はすぐに眠ってしまい、何も起こらない。もし他のプレーヤーで効果が得られないのだったら、WALKMANで聴いてみるといい。結構すごいことになりそうだ。


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2018年07月20日

神々が降臨した地(6)

 高千穂バスセンターまで歩いた。そこから天岩戸(あまのいわと)に向かう。『古事記』によれば、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が、荒ぶる神である須佐之男命(すさのおのみこと)の狼藉に耐えかね、洞窟にこもって天岩戸を閉めてしまった。そのため、地上では様々な異変や怪事が起こった。昼間でも太陽が出ないのは、日食によるものか、巨大噴火による火山灰によるものか。また、天照大神のモデルは、卑弥呼ではないかという説もある。
 地上が暗闇になったので、八百万(やおよろず)の神々は天照大神を洞窟から出すための策を講じた。天鈿女命(あめのうずめのみこと)という女神が、肌をあらわに踊りを始めたので、神々が大笑いした。それを聞きつけた天照大神は、天岩戸を少し開けて覗こうとした。そのとき、手力男命(たぢからをのみこと)が天照大神を引き出したことで、地上に光が戻ったのだという。
 その天岩戸を神域として祀るのが、天岩戸神社である。参拝を済ました後、岩戸川の谷底にある天の安河原宮(あまのやすかわらのぐう)へ向かった。そこは小さな家一軒ほどの広さの岩屋で、鳥居の手前に縄を引いて結界してある。奥には木の社が設けられ、辺りには賽の河原のように、大きい石の上に幾重にも小さい石が積まれている。(つづく)


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2018年07月19日

ぼくがダライラマ?(49)

 参詣を終えて表に出ようとしたとき、侍従が寄ってきて押しとどめた。人々は説教を聞きたがっているというのだ。そんな話は聞いていない。当惑したものの、覚悟を決めるしかなかった。ジョカン寺の前は押し寄せた群衆で、身動きができないほどひしめいていた。ぼくの姿を見た途端、人々は合掌し、体をぶつけ合いながら、五体投地の祈りを始めようとした。肘で打たれて顔をしかめ、隣の者を小突き出す者まで現れた。
「私はまだ未熟な修行者に過ぎません……」
 一声を発すると、人々はその場にしゃがみ、ひたむきな眼でこちらを見つめた。ぼくは圧倒されそうになり、足の震えをこらえながら続けた。
「私は何も知らずに、両親の家から連れ出され、山奥の僧院で子供時代を過ごしました。ある日、突然、ラサに迎え入れられ、ダライラマとして、この国を統率する者として生きることを求められました。自分にいったい何ができるんだろう? そのとき、ふと気づいたんです。ダライラマは観音の化身とされているが、観音自身は菩薩であって、修行をしている身であるということを。まだろくに祈ることさえできないのに、と思われるかもしれませんが、悟りの種が自身の中にあることを認めさえすれば、それは自身が菩薩であるということなんです。たとえ、賤しい身分で生まれたとしても、自分の中に悟りの種を見つけ、祈りを捧げていれば、あなた自身も、すでに悟っていることと同じことなのです」(つづく)


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