2018年04月25日

ぼくがダライラマ?(44)

 ぼくは怒りを覚えていた。何のためにぼくを屋敷に呼び出し、顔色の変化から心の内側まで探ろうとしていたのか。娘の方はというと、無表情を装っているが、こちらと引き合わされたことに動揺しているに違いない。
 娘は食べることに集中している。ヤクの骨付きの肉を手づかみし、かぶりついているではないか。感情を押し殺しているのかもしれないが、興醒めする仕草だと思った。見かねてて奥方が声をかけた。
「あなた、いくら後ろめたいことがないからといって、猊下を前にして失礼でしょう? あなたのことを紹介したいと思っただけなのですよ」
「いや、この子は隠したいことがあると、はしたない真似を癖があるんだよ。猊下も大目に見てやってください」
 摂政サンゲ・ギャツォは含むところを口許にただよわせつつ、召使いにダムニェンを持ってこさせた。
 仏教学者であり、老獪な政治家でもある摂政は、禿げ上がった額に汗をにじませながら、メンパ族に伝わる恋の歌を弾き語りした。チベットでは「卑しき担ぎ屋」と軽蔑されているのに、どうしてと思った。奥方や娘はメンパ族の言葉が分からないらしかった。
 ようやく食事が終わった。奥方は片付けをさせるために、奥に引き下がった。摂政は書斎に手紙を取りに行った。シガツェにおられる師、パンチェン・ラマから書簡が届いているというのだ。
 そのすきに娘は立ち上がり、テーブルの下の手に、何やら覚え書きらしき紙を渡した。ぼくが開いて読もうとすると、娘は首を振った。ドアが開く音がしたので、ぼくはあわてて懐に隠した。(つづく)


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2018年04月24日

制作されなかった続篇

 渥美清の死とともに、「男はつらいよ」のシリーズは制作が困難になった。「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」は、かつての作品を再構成したものである。ただ、山田洋次監督の脳裏には、「寅次郎紅の花」より先の物語が構想されていた。
 そこで、西田敏行を代役に立てて、続篇を制作するという案が出たが、山田監督は固辞したという。「男はつらいよ」というシリーズは、渥美清という俳優がいたからこそ成立した映画だという思いが強かったからである。
 このシリーズが未完という印象が強いのは、甥の満男と泉の関係が中途半端なままだからである。「寅次郎紅の花」で満男が泉の結婚式をぶち壊したのは、未撮影の「寅次郎花へんろ」で、満男が泉と結婚するという構想があったからである。それを見届けた寅次郎は、テキ屋稼業から足を洗い、幼稚園の用務員として働くことになる。寅次郎の最後のヒロインとなるのは、幼稚園の園長役となる黒柳徹子の予定だったという。子供たちと隠れん坊するうちに寅次郎は息を引き取り、町の人たちが寅次郎の思い出にお地蔵さんを作るという結末だったという。
 満男を泉と結婚させてあげたかったのだが、最後のヒロインがリリー役の浅丘ルリ子でなかったら、「男はつらいよ」のシリーズの印象は異なってしまっただろう。また、シリーズを完結させるためとはいえ、末期癌で苦しんでいた渥美清に、息を引き取る場面を演じさせるのも酷だったろう。


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2018年04月23日

男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇(第49作)

 テレビ版で奄美大島にハブを捕りに行き、逆に噛まれて「死んだはずだよ寅次郎」が、視聴者の抗議で映画として復活した。しかし、当初はこれほど長期にわたって制作されるとは、山田洋次監督も思っていなかったという。全五回で一旦制作は打ちきられるはずだったが、ついに全48作までシリーズは続いた。山田洋次監督は、その後のストーリーも構想していたが、末期癌の手術を受けた渥美清は、1996年(平成8)8月に帰らぬ人となった。この作品は車寅次郎への挽歌として、亡くなった翌年に制作されたものである。
 冒頭では満男が駅でピールを飲みながら、靴のセールスのための行商を行っている。寅次郎のような仕事をしているわけである。伯父さんは今頃何しているんだろうと、寅次郎のことを懐かしむ。満男が思い出すのは、寅次郎がリリーと出会った頃のこと。満男が回想するという形で、「寅次郎忘れな草」「寅次郎相合い傘」の一部と、「寅次郎ハイビスカスの花」の大部分が再構成され、それを満男の回想譚という形で埋め込んである。
 リリーが登場する作品には、前回の「寅次郎紅の花」もあったわけだが、寅次郎とリリーがともに若く、もっとも幸せそうだったのは、「寅次郎ハイビスカスの花」の頃である。沖縄で病み上がりのリリーと寅次郎が、夫婦のような同棲生活を行っていた時期である。
 前作でリリー役の浅丘ルリ子が、渥美清の体調の悪さを見て、これが最終作になるだろうから、寅次郎とリリーを結婚させてほしいと、山田洋次監督に願ったが、かなえられることがなかった。そこで、シリーズの最終作の中で、リリーと寅次郎が同棲していた時期を再構成して、車寅次郎に対するお別れ会をしたというのだろう。
 この作品の大部分は、「寅次郎ハイビスカスの花」から成っており、それを再び見たという印象が強い。やっぱり、一番の見どころと言えば、リリーが「男なんかの世話にはなりたくない。夫婦だったら別よ」と洩らし、照れた寅次郎が「所帯なんか持つ柄か」と言い放つと、「あんた、女の気持ちなんか分かんないのね」と涙を流す場面である。


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