2018年04月27日

文章上達の基礎技術(2)

 一方、文章表現の授業を受ける学生の中には、小説を書きたいとか文学賞を取りたいという学生もいる。その基礎練習としては、先述の日記を書くことが大いに役に立つのだが、文学愛好者が陥りがちな文学臭のある文章を避けるためには、谷崎潤一郎や丸谷才一などの『文章読本』を研究したり、名作とされる小説を数多く読むほかに、実作を試みるといい。ただし、天才でない限り、長編など書けるはずがないし、短編では完璧さが要求される。星新一みたいなショートショートだって、驚きや笑い、悲哀の感情を、読者に呼び起こすのは容易ではないし、そもそも他人が素人の小説を読み通してくれるかどうか?
 基礎的な小説の技術を得たければ、300字小説という、ショートショートより短い小説を書くといい。最小限の場面展開において、磨かれた言葉で世界を構成するのは、かなり高度なことだと実感するはずだ。ただ、分量が少ないだけに完璧さを狙うことは可能だ。うまく出来たと思ったら、実際にブログで発表してみよう。技術が多少でも上達すれば、アクセス数は増えてくるし、読者からの反応も得られる。
 それ以上長い小説を書くためには、人称の問題や、視点人物と対象人物、緩急の問題、風景や心理の描写、会話文など、さまざまな技術が必要となる。それを知るには作家が書いた『小説作法』が参考になる。とはいっても、必ずしも役に立つとは限らない。手の内を明かしたくないので、それぞれの問題の相互関係が明らかにされず、断片的にしかヒントが得られない場合も多い。
 そもそも、天才的な作家の方法が、初心者の役に立つかどうか分からない。天才的な作家ほど、自ずと素晴らしい作品が描けてしまうので、暗示的な表現でしか教えてくれず、「一を聞いて十を知る」者しか相手にしないからである。要するに、技術が習得できるかどうかは、示唆された糸口をつかめるかどうかにかかっている。
 その反対に、書く小説はあまり面白くなくても、小説講座で教えている講師の方が、自身も努力しているだけに、創作法をよく研究していて、初心者に順序立てて教えることが上手だったりする。選手としては浮かばれなくても、コーチとしては優秀な場合があるのだ。
 現在、大学で創作の授業を受け持っている一流の作家は、創作を学びたい学生にとっては、師として最適なのではないか。半期の15回の授業の中で、段階的に技術を説明していき、学生の技術を少しでも向上させなければならないからである。ろくに準備もせずに、行き当たりばったりにしゃべっていたら、無記名による学生アンケート調査で、ショッキングなコメントをされて、自尊心がズタズタにされてしまうだろうから。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
http://itunes.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en

Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

posted by 高野敦志 at 02:11| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

文章上達の基礎技術(1)

 文章表現の授業では、僕は学生に日記を書くことを勧めている。若い頃から人生の終わりまで続ければ、人間の若い頃からの成長、やがて老いに至るまでの過程を、自分自身の観察や思考を通して記録できるからだ。過ぎ去った時代に、自分や周囲の人間が何を考えていたかも。
 ただし、若い頃の文章は、今から見ると冗漫だったし、変に気取ったりもしている。要するに、へたくそなのだ。それを素材にして、成熟した目と文章技術で書き直すことで、初めて人に見せられるものに変身する。自分の文章能力がどの程度になったかは、ブログにアップロードしてみればいい。身内や友人でない人が見て、面白ければアクセス数が増えるし、注目記事に選ばれたり、読書からのコメントも来たりする。どのような文章が読者の心を惹くかというコツが、何となく分かってくるというわけだ。
 まあ、ブログはそれ自体、エッセイのように形式が自由だから、プロの領域に達すれば文学的価値も出てこようが、大抵は自己満足で終わってしまう。人の心をつかむコツが分かってきたとしても、文章技術は不十分な場合が多いだろう。
 では、さらにレベルアップするにはどうしたらいいか。ここでは「文章制限」を利用する方法を紹介しよう。もし、評論など論理的な文章を書くのであれば、ツイッターでの訓練が役に立つ。140字という制限で自己の主張を明確に主張するには、推敲することを通して、最も主張したいことをいかに的確にまとめるかに留意する必要があるからだ。どこまでなら批評になるが、それ以上書くと誹謗中傷になるといったさじ加減も分かってくる。
 ただ、今述べたのは、あくまでも文章技術の基礎である。内容や構成にはさらに高度なノウハウが求められる。また、学術論文などは、既定の文型を用いたり、先行研究の扱いや研究方法など、異なる技術も多いから、大学院のゼミなどに入って、専門家から学ぶ必要がある。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
http://itunes.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en

Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

posted by 高野敦志 at 03:14| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月25日

ぼくがダライラマ?(44)

 ぼくは怒りを覚えていた。何のためにぼくを屋敷に呼び出し、顔色の変化から心の内側まで探ろうとしていたのか。娘の方はというと、無表情を装っているが、こちらと引き合わされたことに動揺しているに違いない。
 娘は食べることに集中している。ヤクの骨付きの肉を手づかみし、かぶりついているではないか。感情を押し殺しているのかもしれないが、興醒めする仕草だと思った。見かねてて奥方が声をかけた。
「あなた、いくら後ろめたいことがないからといって、猊下を前にして失礼でしょう? あなたのことを紹介したいと思っただけなのですよ」
「いや、この子は隠したいことがあると、はしたない真似を癖があるんだよ。猊下も大目に見てやってください」
 摂政サンゲ・ギャツォは含むところを口許にただよわせつつ、召使いにダムニェンを持ってこさせた。
 仏教学者であり、老獪な政治家でもある摂政は、禿げ上がった額に汗をにじませながら、メンパ族に伝わる恋の歌を弾き語りした。チベットでは「卑しき担ぎ屋」と軽蔑されているのに、どうしてと思った。奥方や娘はメンパ族の言葉が分からないらしかった。
 ようやく食事が終わった。奥方は片付けをさせるために、奥に引き下がった。摂政は書斎に手紙を取りに行った。シガツェにおられる師、パンチェン・ラマから書簡が届いているというのだ。
 そのすきに娘は立ち上がり、テーブルの下の手に、何やら覚え書きらしき紙を渡した。ぼくが開いて読もうとすると、娘は首を振った。ドアが開く音がしたので、ぼくはあわてて懐に隠した。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
http://itunes.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en

Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

posted by 高野敦志 at 01:02| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする