2018年03月14日

三島由紀夫の「真夏の死」について

 三島の中編「真夏の死」は、南北アメリカ、パリ、ロンドン、ギリシャ、ローマなどの歴訪から帰国してほどない、1952年(昭和27)に発表された。現実にあった事故に取材しており、生田勝(いくたまさる)と妻の朝子(ともこ)、それに勝の妹安枝が主な登場人物である。冒頭で朝子は安枝とともに、幼い我が子の清雄と啓子、それに克雄を引き連れ、伊豆半島へ海水浴に来ている。子供たちの世話を任された安枝は、清雄と啓子が波にさらわれたのを知って、ショックの余り心不全で死亡する。それを朝子が夫に知らせねばならぬあたりから、ただならぬ緊張感が漂い出すのである。
 朝子は悲惨のどん底に突き落とされ、「あれだけの不幸と釣合のとれるほどの待遇をうけてゐない」という不満を持つ。夫は優しく朝子を慰めていくのだが、一人残された克雄まで奪われてしまうのでは、という恐怖感におののく彼女は、ノイローゼ気味となってヒステリックな言動をする。
 やがて悲しみも薄らいでいくと、今度は倦怠感が二人を支配するようになる。夫は浮気で気を紛らわせたりするが、朝子は日々の生活では満たされないものを感じ始める。それは二人の子供を亡くしたときに覚えた大きな感情に対する渇望である。清雄と啓子との幸せな日々と、二人を奪い去られた時の引き裂かれる思い。非日常的な力に翻弄される悲痛な感情は、一方では人間を悲劇的な高みに連れていく。それに満たされたくて、朝子は事故があった海岸に夫と克雄を連れ出すのである。
 日常の暮らしで憂さを晴らしている勝に、妻の気持ちが理解できようはずがない。最後の場面となって、ようやくそれに気づき始める。それについては、三島は読者の想像に任せている。朝子は我が子が波にさらわれる場面を夢想しているのだろうか。だからこそ、勝は「お前は今、いったい何を待つてゐるんだい」と言って、「つないでゐた克雄の手を強く握つた」のである。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 01:23| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする