これはダキニかなんかの類いかもしれないと、ぼくは冗談半分で思ったりした。仏と交合している女神のことで、性ヨーガをする時のパートナーとなる。でも、ぼくの場合は、若い女の子に興味があるからかな。そもそも、子供のときから周りにいたのは坊さんばっかりで、肌から発する女の匂いを想像するだけで、袈裟がテントを張ってしまうんだから。
ぼくの様子がおかしいと聞いて、摂政が白宮の部屋を訪れたのは、よく晴れた日の昼下がりのことだった。ダライラマの霊塔を見せられて以来、ぼくの顔色がよくないとか、侍従から聞かされたのだろう。ポタラ宮の裏にある池のほとりに連れていかれた。
これは何かの符合ではないかと思った。ぼくの悩みの原因に感づいているのではないか。摂政は素知らぬ様子で、仏道修行の進み具合などを訊いてきた。ぼくも猫をかぶって答えることにした。
「修行を始めたばかりだというのに、民衆の前では悟ったような顔をしなければならない。これほどつらいことはありません」
「猊下は深く考えすぎるようです。堂々としていらっしゃればいいのです。形が整えば、自ずと法王としての風格が出てくるものです」(つづく)
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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