2018年02月25日

臨死体験の瞑想「イントゥ・ザ・ライト」(3)

 第二部も冒頭は同じである。力を抜いてリラックスしたら、自分の内部に振動を感じる。非物質的なエネルギーの周波数を上げることで、「体外離脱」の状態に移行するのである。まあ、実際に離脱することはごくまれだから、自己暗示でその状況を想像すればいい。
 部屋に光の存在が現れたとイメージしよう。それは自分自身のガイドである。目の前に幻像の片鱗が見えたら、それを光のトンネルに変える。ガイドに導かれる形で、トンネルをくぐって非物質的世界に移動するのである。
 トンネルの向こうには、緑の庭園が広がっている。テーブルの上には、大きな本が置かれている。そこには自分自身の人生が記されている。ページを開くと、人生で重要な場面が現れる。ここでは、その体験から何を学んだか、自分に問うことが求められる。面白く感じたのは、当時の場面が再現されると、自分自身の視点、関わった相手の視点、その場面を俯瞰する視点という三つの立場から、追体験できるという点である。
 仏教によれば、悪業によって地獄に堕ちた人間は、閻魔大王の前で浄玻璃の鏡の前に立たされる。嘘をついても、生前の行いがすべて映し出されてしまうという。キリスト教でも地獄が説かれるが、実際の臨死体験では、意識の肉体からの離脱はあっても、お花畑など楽園のイメージが現れることが多い。罪を犯した人間の場合には、自らを罰する意識が、地獄のような幻影を見させるらしい。だから、殺人などを犯していない場合は、恐れる必要はないようである。(つづく)


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2018年02月24日

釧路湿原は東から(2)

「時間的に厳しいんじゃないかな」と友人は答えたが、どうしても細岡展望台が見たいと、僕は言い張った。あれを見なければ、最高の眺めを目にしたことにはならないのだから。砂利道を走っていくと、小石がはじき飛ばされ、車にぷつぷつぶつかり、土煙で車の後ろは見えなくなる。
「今、釧路湿原の中を走っているんだよ」と友人は言った。釧網本線の踏切を渡ると、ようやく舗装された道路に出たが、メインテナンスがされていないのか、ひび割れがひどく激しく揺れる。
 細岡展望台は細岡駅ではなく、釧路湿原駅に近い。駐車場に車を止めて、やはり坂道を上っていく。コッタロの方とは違って、だらだら坂の砂利道である。遠望するためには、途中の階段は登らずに、坂を上りきる必要がある。
 標高は余り高くないが、視野が開けている。釧路湿原をスキャンするように、パノラマの眺望が見渡せるのだ。草に覆われた湿原をゆるやかに流れる釧路川、光を反射する水面、川岸で風になびく木々の枝まで見える。視野の届く限り、ほとんど人工の物は目に入らない。なだらかに伸びる地平線、雲間から下りる光線まで、湿原のあらゆる姿を遠望させてくれる。
 広大な湿原の中に、すべての生命が宿っている。縄文時代が終わって、海面が遠くに去ってから、命の受け渡しを繰り返しながらも、この光景は大きく変わることなく続いている。悠久の時間を経ても変わらない自然のおおらかさに、女性的な優しさを感じてしまうのだ。(つづく)


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posted by 高野敦志 at 14:07| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

釧路湿原は東から(1)

 あとは釧路湿原へ行くことになっていた。今回の旅の始めに、釧路市湿原展望台に寄ったわけだが、どうも本物を見た気がしない。これぞ釧路湿原といった光景を目にしなければ、再訪した気にはならないのだから。
 今回は二回目で、前回は二十年余り前になる。あの時と同じアングルから見たい。僕はコッタロ湿原展望台に行こうと言った。そこは湿原の外れで、コッタロ川の上流、塘路湖よりも北にある。舗装されていない駐車場に車を止め、見上げるほどの急階段を登っていく。しかし、そこで終わりではなかった。さらに山道をぐんぐん上っていく。息切れしそうになって、ようやく木で囲まれた展望台まで登りきった。
 ここからは湿原を斜めに見ることになるので、視界はそれほど開けていない。ただし、コッタロ川の形作る、入り組んだ川の水底と、鮮やかな草原のコントラストがすぐ真下に見えるのだ。カメラで接写するように、湿原の細かい点までくっきりと。
 高台まで登りきるのは、老人には無理である。見下ろす湿原は鮮明な色で迫ってくる。葦原の間に白く見える点、目を凝らすと動いている。カメラで拡大してみると、丹頂鶴の形、頭の赤い色まで認められた。躍動する湿原の生命を感じさせる点で、やはりコッタロ湿原展望台からの眺めは男性的だ。(つづく)


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