2018年01月11日

ぼくがダライラマ?(35)

         六

 ぼくは侍従の目を盗んで、ポタラ宮内を歩き回るようになった。迷路に似た宮殿の中で、ぼくの姿を見失った丸顔の男が、青ざめているのを想像するのは小気味よかった。ダライラマとして民衆の前に立つには、仏教の教理や瞑想法、占いのための天文学、チベットの文化と歴史、国を治める帝王学とやらまで、学ばなければならないことは山とあった。成人するまで教育をきちんと受けず、野山で狩りするのを楽しみにしていたぼくにとって、ポタラ宮での生活は苦痛以外の何ものでもなかった。
 ぼくの顔色が青ざめ、無気力になっていくのを見て、摂政サンゲ・ギャツォは、ダムニェンを与えてくれた。これは肩からかける弦楽器で、お父さんが食事の後に弾いていた気がする。弦を弾きながら歌うのだが、坊さんには聞かれたくない。後ろ指をさす奴がいるからだ。一連の授業を受けた後なら、出歩くことも許されたので、西方の山に日が傾く頃、ダムニェンを抱えて、宮殿の裏手にある大きな池のほとりで腰を下ろした。
 柳の林に囲まれた池は、宮殿を塗り固める土を掘り出した跡に、雨水がたまったものだった。中央の小島には龍王を祀る神殿が建っていた。仏塔の形をした金色の屋根は、東の空から迫りつつある夜気に触れていた。摂政の話によれば、ダライラマ五世の見た夢を実現した物で、内部に入ることは許されていないとのことだった。(つづく)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 03:41| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする