2018年01月09日

立花隆の『証言・臨死体験』(2)

 作家の水上勉の場合、臨死体験の間、死んだ飼い犬が三途の川で泳ぎ、人間の言葉をしゃべったという。また、病床に戦時中に世話した軍馬が現れ、後日譚をしゃべりに通ってきたという。水上氏はこれらを妄想だと切り捨てる。この世もあの世も幻で、それにはとらわれないという意識である。育った禅寺を飛び出した水上氏は、臨死体験を経て禅僧のような境地に至ったようである。
 特異な臨死体験をしたのは、彗星探索家の木内鶴彦氏である。木内氏の場合、臨死体験を繰り返している。しかも、自分が死にそうになりながらも、冷静さを失わず、自分自身の体験の意味を探究している。思った瞬間にその場所に移動できることに気づいたので、木内氏は未来に移動する。すると、未来の自分が高野山で講演している光景を見る。これで自分は死なないと確信した。その同じ場面が十九年後に実現したという。また、空間を移動して、肉親や友人の体内に入ったりもしたらしい。
 時間や空間を移動したり、動物や植物に姿を変えられたりもできるのは、宇宙が意識を持っていて、自分もその一部だからだと、木内氏は結論づけている。汎神論という考え方で、すべてが神の現れと見るわけである。これに関しては、氏の著書『「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み』で詳しく論じられている。
 脚本家の宮内婦貴子氏の場合、肺気腫で呼吸困難に陥った。呼吸ができないことがどれだけ苦しいかは、喘息を患った人間なら誰でも理解できるだろう。宮内氏は空を飛びながら、死に別れた養父母に再会することを楽しみにしていたが、娘のことややり残した仕事を思い出すと、下に落ちて目覚めてしまったという。宮内氏は以前から、体外離脱ができたと主張している。しかも、熱海や伊東、松島などかなり遠距離に移動し、そこで見たことを、現実で確認したこともあるらしい。
 本書にはこのほか、二十名の臨死体験が収録されている。西洋人の臨死体験との大きな違いは、三途の川が現れること、過去の体験を走馬燈のように見るという体験は、むしろ珍しいこと、出現するのは肉親などで、話し相手を神だとは思わない点などである。信仰の違いが反映されていることで、臨死体験は死に瀕した脳が見る幻覚と片づけるか、死後に向かうのは霊の世界であるから、意識したものが出現するのは当然だと見るかで、見解が大きく分かれるところだろう。

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 02:21| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする