2018年01月26日

知床は記憶の果てに(9)

 一湖のみなら、半分程度の時間で歩けるのだが。それでも、五湖全部回りたかった。僕は諦めるというのが好きではない。これほど晴れ上がった天気に、知床で巡り会ったこともなかったし。急いで写真や動画を撮って、一周しようということになった。熊を避けるために大声で話しながら。
 屋外に出た。見上げると、上空は青く澄み渡って、雲はわずかしか見えない。かつて二度訪れたわけだが、いずれも山は雲に隠れ、湖水も木々の緑を映すばかりでよどんでいた。絵葉書で目にする風景など、作り物じゃないかと思っていたのだが。五湖の前に立つと……、あまりの美しさに声を失った。
 水面に映った知床連山は、鏡を見るようにくっきり浮かび上がっていた。湖岸の樹木も枝から葉の一枚まで映えている。雪のない季節だが、ちょうど連山の上にかかった白い雲が雪のようで、色彩から見ても完璧な美しさだった。青い湖水に映った像は、本物の空よりも青く、木々の輪郭を際立たせていた。しかも、ほとんど沈黙の世界。カラスさえも周りに配慮して、大人しく羽を休めていた。(つづく)

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2018年01月25日

男はつらいよ 柴又より愛をこめて(第36作)

 印刷工場の社長の娘、あけみが家出してしまう。下田にいるらしいことが分かると、寅次郎が連れ戻しに行くことになった。あけみは寅次郎の飾らない、率直なところが好きなのだろう。すぐには帰りたがらないので、寅次郎はあけみの望むまま、式根島への船に乗り込む。小学校の同窓会で帰郷する若者たちと意気投合した寅次郎は、あけみのことはほったらかしで、若者たちと車に乗り込んでしまう。
 港に取り残されたあけみは、旅館をやっている純情な青年、茂に好感を抱くようになる。一方、寅次郎は同窓会で同席した真知子先生と親しくなる。真知子は寅次郎に、教師という仕事の喜びと切なさを語る。生徒を学校から送り出すことは、教師にとって喜びであるとともに別れでもある。子供たちは外の世界で人生を歩んでいくのに、教師は教える子供が代わっても、学校に留まり続ける。こんなことを繰り返しながら、教師は年を取ってしまう。耳を傾けるうちに、寅次郎は真知子に心惹かれていく。
 一方、あけみは茂に求婚されて、夢のような気分から目が覚める。「あたし人妻なの!」と叫んで逃げ去る。純情な青年の心を傷つけてしまったのを悔いて。あけみのつらい思いを聞かされた寅次郎は、真知子への思いを振り払って、式根島を去ることを決意する。
 その後、真知子は柴又に現れ、寅次郎の恋心はよみがえるのだが……。真知子を演じたのは栗原小巻である。僕が初めて栗原を見たのは、呂宋助左衛門を主人公にした大河ドラマ、『黄金の日々』においてだった。助左衛門を演じたのは、六代目市川染五郎(二代目松本白鸚)で、栗原は助左衛門の憧れの女性美緒を演じた。中学生だった僕は、子供ながらにも、ボーイッシュな感じの美人だと思ったものだ。


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2018年01月24日

ディーパック・チョプラの『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』(2)

 若い頃、僕は浴槽の中で居眠りをして、幸福な感覚に満たされていた。宇宙の始まりから人類の歴史まで、自分は知っているような気がした。目が覚めた瞬間、死すべき運命を感じて慄然とした。ディーパック・チョプラの言葉を借りるなら、この時感じていたのは、生死を超えた純粋意識なのだろう。瞑想する際には、本当の自分は生死を超えた存在であると思えばいいのだと思った。
 ディーパック・チョプラによれば、意識には7つの階層があるという。@は深い眠り、Aは夢を見ているとき、Bは起きているとき。瞑想を通して純粋意識に触れるのが、C超越意識である。瞑想を続けることで、ひらめきを得たり、幸運に恵まれるなどの共時性が起こり、純粋意識が生死を超えることを悟るD宇宙意識に達する。さらに、Eの神性意識では、すべてのものに宇宙の生命を感じるようになり、最終的には、個人の自己が宇宙の精神と一つになるF「統一意識」に至る。
 純粋意識が生死を超えるとか、肉体と精神は分けられず、あらゆる存在に宇宙の生命が宿っているとか言うと、現代の日本人には神秘主義のように聞こえるかも知れないが、近代化される以前の日本人には知られていた思想である。生死を超えるのは「阿頼耶識」であるし、肉体と精神が分けられないのは「心身一如」である。宇宙のホログラフィックな構造を示唆するのが、『華厳経』の「一即多、多即一」であり、すべては大日如来の表れで、「一切衆生悉有仏性」「草木国土悉皆成仏」などいうのも、仏教が教えてきたことである。
 明治維新の動乱期に、薩長の新政府や平田派の国学者にそそのかされて、日本人は純粋意識「仏性」のシンボルである仏像の首をはねて火に投じ、寺院を次々に破壊していった。それによって、古代から培ってきた日本人の霊性は失われ、西洋の帝国主義に染まって、アジア人同士の殺し合いという地獄に、身を投じることになった。多くの日本人にとって、仏教の信仰は「葬式仏教」と言われるほど形骸化してしまったのである。
 インド生まれの哲人、ディーパック・チョプラの語る思想が、日本人にとって懐かしいのは、彼の語る言葉がヒンドゥー教や仏教など、古代インドが生み出した智慧に根ざしているからだろう。

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