2018年01月31日

ディーパック・チョプラの『富と成功をもたらす7つの法則』(3)

 さて、『富と成功をもたらす7つの法則』における法則一は「純粋な可能性の法則」である。瞑想の習慣を持つことで、純粋意識に触れるようにせよということである。法則二は「与える法則」である。自分の持つ物を相手に与えるから、自分にも何かが与えられるのである。昔の日本人は「情けは人のためならず」の真の意味を理解していた。
「金は天下の回り物」である。ため込むばかりでは流れは停滞する。国家レベルで考えるなら、大企業に「内部留保」ばかりさせて庶民を貧困化させている国は、衰退の一途をたどっているではないか。富の再配分を行えば内需も回復して、結果的に国全体が潤うことを、愚かな政治家は知らないのである。
 法則三は「原因と結果の法則」である。人間は各瞬間に選択を行っている。意識的に行動するために、ハートに問いかけるようにする。人間が究極的に求めているのは幸せであるから、自分がしようとしていることが「心地よい」かどうか、自問していくことが重要である。
 法則四は「最小限の努力の法則」で、努力を重ねることが美徳とされる日本では、なかなか理解してもらえないだろう。無理はせずに、自分が持っている能力を開花させる。また、それが人類の役に立つかどうかも、成功させる鍵となる。金儲けや名誉欲に駆られてこの手の瞑想をしても、成功するかどうかは覚束ない。活動をして人類の役に立ちたいと思うことで、宇宙全体の創造の力に参与できるのである。(つづく)


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2018年01月30日

筒井康隆の『文学部唯野教授』

 大学教師のイメージを破壊するドタバタ劇と、現代思想の講義を結合した型破りな作品である。パターン化した枠組みに囚われない実験的な作品。大学教師の裏側を、誇張してコミカルに描いているが、研究室でふしだらな行為をしていたり、糞尿譚まがいの描写があったり、エイズの感染まで笑いの対象にしているため、人によっては不快感を抱くかもしれない。
 作者は大学関係者から得た情報をもとに、脚色して作品を描いたらしい。でも、こんな教師は今でも存在するのだろうか。わざと権威付けするみたいに、十五分遅れで授業を開始したり、やたらと休講が多かったりは昭和時代のお話で、今は時間いっぱいに授業するし、休稿したら補講しなければならない。おまけに、学生から授業アンケートで評価されるしで、この作品に登場するような教師はほとんど淘汰されてしまったのではないか?
 早治大学、立智大学とか、モデルの大学を推定させたいのか攪乱したいのか、これも作者によるトリックなのではないか。唯野教授は教師生活のかたわら、野田耽二のペーネームで小説を書いている。つまらんもん書いてる暇があったら、論文を書けという評価は、実際にもあるんだろう。芥兀賞に受賞して、創作活動がばれるのではとびくびくしている。
 唯野教授の講義では、ロシア・フォルマリズムから現象学、記号論、構造主義にポスト構造主義まで、分かりやすく説明されている。ただし、読者は文字で読んでいるから、分かりやすいのである。昔の大学教師は、講義ノートを見ながら、ひたすらしゃべりまくっていた。昔の学生はノートを取るのが一苦労だった。分野にもよるのだろうが、今は授業用のハンドアウトが配布されないと、学生から不満が出るだろう。
 外国文学の概論などは、こうした講義形式を取るわけだが、外国文学の授業の大半は訳読形式で、ひたすら辞書を引き続け、外国語を日本語に訳す作業が延々と続く。唯野教授のような講義ばかりと思ったら大間違いで、辞書引き続けるのが嫌いな人間は、外国文学や哲学の専攻に進んではいけない。

参考文献
筒井康隆著『文学部唯野教授』(岩波書店)


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2018年01月29日

男はつらいよ 幸福の青い鳥(第37作)

 第八作「寅次郎恋歌」の冒頭と結末に、旅役者中村菊之丞の一座が出てくる。座長の娘は大空小百合の芸名で演じていた。寅次郎は傘で見送った小百合に景気よく紙幣を渡すが、千円のつもりが五千円札だったので、宿代がなくなるという落ちがついていた。
 筑豊を旅した寅次郎は、座長の死を聞き、かつて小百合の名で芸人をしていた美保と再会する。別れ際に美保は「青い鳥がほしい」と洩らす。旅館で芸者のような仕事をするのに飽き足らずにいたのだ。寅次郎は美保に、東京に出てくるようなことがあったら、柴又に寄るように言い残す。
 上京した美保は、チンピラにからまれる。それを救ったのが、看板屋の健吾だった。美保が発熱しているのを知り、自分の部屋に呼んで面倒を見る。健吾は画家志望の青年で、プライドが高く、屈折した心の持ち主だった。親切にしたのも、下心がなかったわけではない。気になりつつも、美保は置き手紙をして部屋を去る。
 とらやを訪れた美保に、寅次郎は二階の部屋を提供し、就職先も紹介してやる。美保に対して「一点のやましさもない」と宣言する寅次郎は、お婿さん探しまで始める。だが、美保は健吾のことが忘れられず、看板屋を訪ねていた。賞に落選してスランプ状態の健吾は、そばにいてほしくて、美保をベッドに押し倒す。愛情表現が不器用な健吾に、ショックを受けた美保は部屋を出て行く。
 屈折した画家志望の青年を演じたのは、長渕剛である。最近の写真しか見ていなかったから、若い頃はこんな顔していたんだと思った。感情の起伏が激しいが、根はいい奴で、調子に乗ってハーモニカ吹いてるところが、さすがに決まっていた。「乾杯」を歌う歌手ぐらいにしか思っていなかったが、魅力ある演技には感服した。
 美保を演じたのは、志穂美悦子である。この作品を撮影した翌年の1987年に長渕剛と結婚した。実は、僕は志穂美悦子を目の前で見たことがある。中学三年の時に、「ゲーム ホントにホント?」というクイズ番組に出たとき、志穂美悦子はレギュラーとして出演していた。NHKのスタジオに入ったことは、その時以外にはない。


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