2017年12月19日

ぼくがダライラマ?(33)

 手渡された灯を頭上に掲げた時、思わず「あっ」と息を呑んだ。天井の一部は吹き抜けになっており、底なしの闇が広がっていたからだ。満天の星が見えたわけではないが。摂政はこちらの思いを察してか、傍らに寄ってくると、自身でも穴を見上げながら言った。
「空間というものは、空いているからこそ役に立つのです」
「それは謎かけですか」
「ここにはダライラマ五世の霊塔が築かれることになっているのです」
「霊塔?」
「最上層には金泥(こんでい)をまとわれた五世の御遺骸が祀られます。その下にはお書きになった書物や、召し上がる穀物、薬用の植物などが収められます。チベット全土で掘り出される数年分の黄金が、霊塔を築くのに用いられるでしょう」
 ぼくは耳を疑った。仏教とは慈悲の教えで、布施は最高の功徳(くどく)と聞いていた。だからこそ、チベット人は命尽きたとき、魂の抜け出た肉体を鳥にほどこす善行をなすのだ。それなのに、ダライラマは遺骸で金像を作って、死後も崇拝の対象とするのか?
 それにしても、これだけの広さは必要ないのではないか。そう思いながら見回していると、摂政は意味ありげな笑みを浮かべて、こちらの問いを待っている様子だった。
「しかし、五世の霊塔を作るだけだったら……」
「ここには歴代のダライラマが葬られていくんですよ。あなた自身もね」
 それを耳にした途端、ぼくは生きながらにして、ポタラ宮に葬り去られる気がした。
「世界広しといえども、紅宮ほど華麗な霊廟はないでしょうね」
 バターの灯が空気の流れで揺らめいた。闇の中では摂政の体の輪郭が、ぼんやり浮かび上がって見える。低い声ばかりが淀みなく室内に響いていた。(つづく)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 12:18| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする