2017年12月29日

ぼくがダライラマ?(34)

 その夜、ぼくは夢を見ていた。密林の中でぼくは二人の兄たちと、色鮮やかな植物や、言葉が分かる鳥を見物していた。お腹がすいて果物を探しているうちに、竹やぶの中に迷い込んでしまった。
 こんなところで猛獣と出くわしたらどうしようと上の兄さんが言うと、下の兄さんは、自分の体なんかくれてやっても構わないけど、父さんや母さんとお別れするのはつらいと答えた。
 話をしながら進んでいくと、やぶの中に黄色い影が横たわっていた。上の兄さんが叫び声を上げた。下の兄さんは震えながらぼくの衣をつかんだ。
 よく見ると、それはやせこけた一頭の虎だった。周りには七匹の子供がいたが、お腹をすかせて子猫のような声を出している。母親はうつろな目をして、こちらを向いても威嚇することもできずにいた。
「この虎は何を食べているんだろう」とぼくが問うと、上の兄さんは「虎やヒョウ、ライオンは生きた動物しか食べないんだよ」と答えた。下の兄さんも「もう狩りをする力はないんだろうけど、えさを見つけてやることはできないし、自分の身を餌食にしてまで救ってやる者なんていない」と答えた。
 ぼくは母親の虎と子供たちがかわいそうになった。二人の兄たちを先に行かせると、竹に衣をかけて裸になった。枯れた枝を手に取り首を刺すと、血を流して虎の前に身を横たえた。虎はしばらく、こちらを眺めていたが、ぼくの傷口に舌を当てると、乳でも飲むように吸いはじめた。
 母親は生きる力を取り戻したようだった。七匹の子供を助けたいという思いと、自ら命を差し出した相手を傷つけることへの恐れの中で揺れ、これ以上危害を加えられずにいる様子だった。
 ぼくは首筋の痛みをこらえながら、虎に向かって語りかけた。「ぼくはまもなく息絶えるだろう。それはおまえの子供たちを救いたいからだよ。ぼくのことなど構わずに、肉に食らいついて、骨の髄まで噛み砕いてくれ。この体はおまえの血肉となり、子供たちを養う乳となるのだから」
 虎の牙が首筋に食い込んできた。大量の血が流れだした。虎は狂ったように歓喜の声を上げて、噴き出した血をすすりだした。ぼくははっとして目を覚ました。それは恐ろしい夢ではあったが、不思議と心の中は満たされていた。
 チベットでは人は死ぬとき、自分の肉を鳥や獣に捧げて、次の生命の肥やしとなるのだから。霊塔の中に閉じ込められて、永遠にとらわれの身となるよりは、よほど快いことに違いないと思った。(つづく)

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2017年12月26日

男はつらいよ 旅と女と寅次郎(第31作)

 歌手や俳優は人もうらやむ職業だが、本人にはつらいことも多いという。デビュー当初はろくに給料が払われず、ひとたびヒットすれば、過密なスケジュールを入れられて、自分の時間が持てなくなる。親の死に目にも合わせてもらえない。心に傷を負っても休めない。。
 演歌歌手の京はるみは、失恋したことや仕事に疲れ果てていたことで、ショーをすっぽかして逃げ出してしまう。事務所には「さがさないでね」と書き置きを残して。サングラスをかけて人目につかぬようにして。新潟の海岸で寅次郎と出会い、漁船に乗って佐渡に渡ってしまう。
 寅次郎との束の間の休息に、はるみの心は癒されていく。ショーをすっぽかしたことを悔やみながらも、人間らしい気持ちを取り戻し、海岸で自慢の美声を披露する。そこにプロダクションの社長らが追いかけてくる。すんでのところで漁船に乗り込み、小木の港に逃げ出すが、結局見つかってしまう。寅次郎との思い出を大切にして、はるみは芸能生活に戻っていく。
 柴又に戻った寅次郎は、魂が抜かれたような放心状態に陥る。その頃、若者に人気があったウォークマンを手に取り、金も払わずに持っていってしまう。聴いているのは京はるみの歌である。いかにも昭和の終わり頃の風俗で、ウォークマンも当時は携帯用のラジカセだった。商店が開店すると、チンドン屋が町を練り歩いていた。
 京はるみは柴又のとらやを訪れ、寅次郎と再会する。元気になった姿に安心するが、はるみが失恋した相手とやり直すと聞いて、寅次郎は心の底で思っていた人を失った気がして、またテキ屋稼業の旅に出る。
 京はるみは、言うまでもなく、演歌歌手都はるみのことである。この映画を撮影した翌年、「普通のおばさんになりたい」と引退を表明する。五年後に復帰するわけだが、その間にはつらい思いもしたらしい。都はるみのファンだった作家中上健次に、歌手生活がいやになったことを話すと、「ばかやろう」と怒鳴られたという。「お前な、お前の歌で心を動かされる人がいっぱいいるんだ。それをなんだ、恥ずかしいなんて」と。この映画を見ていると、気は短いが本音で語る寅次郎と、中上健次の姿が重なってしまう。


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2017年12月25日

『「プルーフ・オブ・ヘヴン」を超えた対話』(2)

 臨死体験から得られた結論は、意識は脳に依存せず、意識がすべての根源にあるということ。最新の宇宙論が示唆するように、空っぽの空間の中で振動する弦としてのエネルギーが存在し、そのエネルギーが情報を物質化しているという。
 人間は人生を自由意志で、世界を倫理で選択している。人間は役割を持ってこの世界に生まれてくる。時間が流れると感じられるのも幻想に過ぎない。肉体が死んでも私たちは存在し続ける。意識は脳の外部に存在し、脳はフィルターの形で、地球で生きるために意識を縮小させている。肉体や脳が死ぬことで、意識は解放されて、より自由な存在となる。神性は私たちの内に存在し、スピリット(精神)として目的を持って存在している。
 アレグザンダー医師は、将来に対して希望を抱いている。やがて人類は、科学と霊性を融合させて、より悪の少ない世界で生きられるようになると。ここで述べられた内容は、古代からさまざまな民族に知られていたことであり、科学万能主義で忘れ去られていただけだという。
 静かな高揚感をもって語られる話には、強く心に訴えるものがある。人間が肉体を超えた存在であることを、多くの人々が知ることで、世界は大きな変革を遂げる可能性がある。著書を読んだだけでは分からない確信が、語り口から伝わってくる。これは一度見るだけでは理解しきれない内容を持つ。繰り返し見るたびに新たな発見があるのではないか。

 古代インド人が信じていたように、宇宙は神の見る夢で、実際には時間や空間も幻に過ぎず、この世界で生きる存在は、それぞれ演じる役目をもって産まれてくるが、それらもすべて神の見る夢ということになるのだろうか。そうすると、自由意志を持って生まれてきたということ自体が、神の見る夢ということになるのだが。それとも、量子論が示唆するように、無限の平行宇宙の中で、それぞれの魂は生きる世界を選択することで、自由意志を行使しているのだろうか。

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