2017年11月29日

ぼくがダライラマ?(30)

               五


 十一月のよく晴れた吉日、総勢数百人の行列が朝のデプン寺を出立していった。先払いの役人が笞で路面を叩くと、往来を行き来していた平民はひざまずいて合掌し、頭を地に擦りつけていく。ビシッ、ビシッという音を聞くたびに、輿に乗っていたぼくは、自分が叱責されているような痛みを覚えた。
 暴風は明け方にはやんでいたが、冷え込みはかなりきつかった。黄色い袈裟の上に金襴緞子(きんらんどんす)の衣を羽織っていても、足は冷たく血が通っていなかった。靴を買うことができず、足の裏がタコだらけの巡礼は、凍りついた土を踏むのもつらいことだろう。でも、今のぼくには往来を歩く自由もない。
 道の左右にある石造りの民家は、赤や青、黄色の旗が、平らな屋根にひるがえっていた。やがて行列はマルポリの丘が望めるあたりまで来た、ぼくが声をかけると、行列は動きを止めて御簾が上げられた。白い裳をはき赤茶の晴れ着をまとった巨大な宮殿が、草の生えぬ岩山から天に向かってそびえていた。ポタラ宮だった。金色の屋根は澄んだ青空に光を放ち、麓の町を非情な姿で威圧していた。
 巨石の宮殿が丘の上に建てられたのは、五十年にわたる平民の苦役(くえき)があったからだろう。それなのに、労働に携わった平民は、善根を積むことと信じ込まされ、喜んで受け容れてきたに違いない。果たしてこんなことを、釈迦牟尼が望まれたのだろうか。(つづく)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 01:49| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする