2017年10月15日

ぼくがダライラマ?(22)

 次の日の朝、お母さんは去っていった。駕籠に乗せられて、警護の役人に伴われて。パンチェンラマは、シガツェにあるタシルンポ寺に向かうため、ラサに向かう街道の所まで供をして下さるということだった。お母さんがいなくなって、ぼくの心の中は空白になった。駕籠に揺られている間は、何も考えることができず、ほとんど居眠りしていただけだった。
 休憩することになった。駕籠から下りた途端、強い日射しでくらっとした。高地に住んでいるチベット人であっても、これだけの標高にある峠へ来ることは滅多にない。振り返ると、パンチェンラマが背後からやって来た。正面に進むと崖となっており、切り落としたような斜面は、大地の裂け目を見せつけられた気がした。下にはまっ青な湖が見えた。まぶしいほどの青さだった。
 役人が先に回って、展望する場所に椅子を二つしつらえた。パンチェンラマに先に腰を下ろしてもらい、その後にぼくは座ったのだが、軽いめまいは止まらなかった。湖は大地の裂け目に沿って、視線の届く先にまで延びている。
「ヤムドゥク湖というのだよ」
 パンチェンラマは、こちらが問うよりも先に答えた。雨の少ないチベットで、これだけの水量をたたえているのは不思議だった。流れ込む川もないのに。山肌を覆う氷河が、水源となっているとしか考えられない。真っ白な雪がどうして、まっ青な水になるか。そして、もし掌ですくったとしたら、たちまち水の色が消えてしまうのはなぜだろう。
「すべては心が作り出しているのだ」
 パンチェンラマは、こちらの心の中も読んでいるようだった。それに促されて、ぼくは目をつぶったのだが、目をつぶってもまっ青な湖と、切り落としたような斜面は、瞼の内側に映って見えるのだった。
「もし、そなたの心が澄んでいるなら、これから起こることが湖面に映るはずだよ」
 ぼくは目を開いた。そこには凍りついたように動かない水しかなかった。目を閉じても湖は見えたが、そこにも何も現れなかった。(つづく)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
http://itunes.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en

Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

posted by 高野敦志 at 02:35| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする