2017年09月22日

ぼくがダライラマ?(18)

 すべてがぼくの意思に反して進められた。閉じ込められていた僧院を、名残惜しいと思うことはなかったが、気ままな生活を奪われるのは納得できなかった。しかも、数日の猶予しか許されなかったのだから。狩りをともにした若者たちは、もはやぼくに近づこうとはしなかった。
 出立の日、山門の前には僧院長をはじめ、若い僧侶や小坊主たち、周辺の村人も集まり、ぼくと母さんを見送ってくれた。罪人同様に連れてこられたときと大違いだった。馬に乗った多数の役人に先導され、ぼくと母さんはそれぞれ駕籠に乗せられた。外がよく見えないので、時間がひどく間延びして感じられた。行列の行き着く先はラサと告げられたが、俗人の姿のままで連れていくことはできないとして、ナンカルツェの貴族の館に到着すると、僧衣に着替えさせられ、すぐさま剃髪が行われた。これは僧院を抜け出して、自由な生活を送ったことへの懲罰のように思えた。髪の毛がバサリと下に落ちるとき、ぼくの肉体にうごめく命が絶ちきられるのを感じた。出家するというのは、生きながらにして死者の仲間入りをするのだということを。
 その様子を眺めていた母さんの顔を、忘れることはないだろう。合掌したまま、目に涙を浮かべている。うれし涙なのだろうか。ほほ笑みながら、淋しさに耐えかねているように思えた。ぼくという息子を産んだばかりに、家族で生活する喜びも奪われたのだから。ダライラマ五世の生まれ変わりを出したとなれば、一族としては大いに名誉なことであり、貴族に列せられるはずなのに、すべてが裏腹に進んできたような。ぼくは成人になるまで、どうして幽閉されなければならなかったのか。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 02:14| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする