2017年09月04日

「んみゃーち」の宮古島(8)

 仲宗根豊見親の墓の奥に、アトンマ墓というのがある。これはアトンマ(後妻)を本妻とともに埋葬できないので、まとめて葬るために造られた墓である。手前にアーチ型の門があり、数段の階段を登って中に入ると、ふさがれた墓の入口がある。
 琉球王府に恭順を示したことで、琉球王国は奄美群島から宮古、八重山、与那国に至るまでの最大版図を持つことになった。17世紀初頭に薩摩藩に侵攻され、奄美群島は奪われ、実質的に幕藩体制に組み入れられた。その一方で、中国の皇帝から冊封を受けた琉球国王が統治するという体制は続く。薩摩藩からの圧力に屈した琉球王府は、先島と呼ばれる宮古、八重山、与那国に対して、差別的な重税である人頭税を課した。
 これは田畑を持つか否かにかかわらず、一定の年齢に達した住民すべてに納税を義務づけたもので、病弱な者や老人は人減らしの対象とされるようになった。妊婦を無理に堕胎させるなど、悲惨な結果も招いたのである。
 人頭税石は僕の背丈で口の辺りの高さがあった。143センチである。この背丈に達した段階で、すべての住民に納税が義務づけられたらしい。柳田国男は『海南小記』の中で、この石について「ぶばかり石(賦測石)と称し、この石で背丈を測って石の高さに達すると税を賦課された」と述べている。ただし、これには異説があり、人頭税は15歳から50歳までの住民に課されたという。
 人頭税は琉球処分で沖縄県が成立したのちも続く。これは併合に反発した士族を懐柔するためで、日露戦争の前年、1903年(明治36)にようやく廃止された。(つづく)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 03:07| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする