2017年09月03日

ぼくはネコなのだ(56)

 兄貴は諦めきれずに、暗くなったテレビの前に座り込んでしまった。
「おれはまだ、女の子とデートしていない。女の子の気持ちが分からないから、相手にしてもらえなかったんだ」
 そこで、ぼくはテレビというものが、ここにいるネコを見せてるのではなく、居ながらにして、ほかの場所にいるネコが見られる窓だということを説明した。
「ネコだけじゃないんだよ。食べられる生き物や、ネコを食べてしまう生き物、遊びに行きたい草原や森、いろんな人間が住む町、海の向こうにある国、この星の外の世界まで見られるんだから」
「『何でも窓』っていうわけか」
 話がどこまで理解できたか分からないが、それからというもの、兄貴はテレビがつくたびに駆け寄ると、窓に映るものを食い入るように見るようになった。ネコが出てこなくても、よその町や野山の風景が出てくるだけで、ニャーニャー感嘆の声を出すようになった。
「テレビはおもしろいな。こんなおもしろいもの、どうして早く教えてくれなかったんだ」
「兄貴は人間の言葉が分からないと思ったからさ」
「これは学校のようなものだ。これこそネコの学校だ」とご満悦の様子。
 ところで、兄貴がテレビで勉強するようになったので、大学で教えてるおじさんも、新しい研究がしたくなったらしい。ネコまね語を使い始めたのだ。「おはようだニャー」「お腹空いたニャー」こちらの気持ちを察してくれてるんだろうけど、「ニャー」をつけさえすればネコの言葉しゃべってるつもりになるなんて、所詮人間はサル真似しかできないんだね。(つづく)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 03:45| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする