2017年09月25日

男はつらいよ 寅次郎純情詩集(第18作)

 さくらと博の息子、満男の学校の産休補助教員雅子先生が、とらやに家庭訪問にやって来る。そこに居合わせた寅次郎が演説をぶったせいで、さくらと博はほとんど相談できずに終わる、それをとらやの人たちになじられ、寅次郎はいつものように飛び出していく。
 旅先で一座の役者に景気よくごちそうした寅次郎は、代金が払えず無銭飲食で警察の厄介になる。さくらが身元引受人として信濃の別所温泉に迎えに行く羽目となる。男は見栄で生きているようなもので、見栄を張れるうちがまだ花だが、財布と相談せずに行うところがフーテンの寅である。
 とらやを再訪した雅子先生に、寅次郎が鼻の下を長くしているので、さくらは雅子先生が寅次郎の娘ほどの年で、相手にふさわしいのは雅子先生のお母さんぐらいの年の人だと諭す。そこに、雅子先生の母、綾が現れる。三年も入院生活を送っていた綾は、ぜひ遊びに来てほしいと寅次郎に語る。寅次郎の思いは雅子先生から、綾の方に移る。しばしば屋敷を訪問して、病弱な綾を楽しませたり、ピクニックに連れ出したりする。
 ただ、綾は快癒して戻ってきたのではなく、医者にさじを投げられて、人生の最期を楽しむために退院したのだった。綾は寅次郎を慕いながら命を落とす。寅次郎の好きになった女性が亡くなるのは、『男はつらいよ』のシリーズで初めてである。寅次郎に身を固められては、次の作品が生まれないわけで、寅次郎は失恋するように運命づけられている。死別というちょっと悲しい結末も、失恋のバリエーションとして選ばれたものである。
 ちなみに、雅子先生を演じた檀ふみを、テレビで初めて見たのは、NHKで放送された「連想ゲーム」だった。勘の鋭い才媛という印象だったが、それもそのはず、作家檀一雄の長女である。父親がパリで放浪している間、極度の貧困で鶏の餌を食べたらしい。どんな経験でも、それをプラスに転換するのは、作家も女優も同じなのではないか。


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2017年09月24日

「んみゃーち」の宮古島(15)

 東平安名崎は東京まで1843キロ、ソウルまで1434キロ、台北まで403キロ、那覇まで279キロ、石垣までも140キロある。ここは東シナ海と太平洋の流れがぶつかり合う所。沖は凪いでいるのに、打ち上がる波しぶきがすさまじい。一つ一つの波が芸術的で個性を持っている。
 風の向きと強さ、いくつの波を呑み込んだかによって、規模、盛り上がり方、砕ける際に噴き上げる飛沫の散り方も変わってくる。沸き立つ泡の中には海水と風、削り取られた岩の破片も混じっている。ここは海と陸地がせめぎ合う所。目には見えない速さで、海は確実に岬を削り取っていく。
 灯台の上に登ってみた。南西側の太平洋から波が打ち寄せてくる。岬の北側は比較的穏やかで、珊瑚礁の手前で波は砕けて、その上を白い泡が滑っていく。ところどころに大岩が小島のように点在している。(つづく)

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2017年09月23日

ぼくがダライラマ?(19)

 こちらを見つめるもう一つの目、それは師となったお方のまなざしだった。チベットという国は、二人の偉大なラマ、ダライラマとパンチェンラマに統治されている。ダライラマは都であるラサに君臨し、パンチェンラマは、ラサの西方にある第二の都シガツェに君臨している。ダライラマが観音菩薩の化身なら、パンチェンラマは阿弥陀如来の化身だとされる。
 在俗の行者の家に生まれたぼくは、菩薩と如来とではどちらが上かぐらいは知っている。この国では菩薩の方が如来よりも貴ばれているのだ。庶民に人気があるのは、悪人を懲らしめたり、御利益を下さる忿怒尊の方だし、仏の教えを下さる師のラマは、菩薩や如来よりも先に、帰依しなければならないということも。
 パンチェンラマ五世は、ぼくより二十歳年上で、お父さんと同じぐらいの年なのだが、坊主頭に大きな丸い顔、少し太って動きの遅い体は、老人に近いものを感じさせた。屈折した相手を哀れむような目をしている。生き別れたお父さんの方は、ぼくの記憶の中では、ヒゲの生えた猛禽のような目をした勇者のままなのだが。ぼくに戒律を授けるとき、そのお方は、内心をうかがうまなざしで見た。これで師弟の関係が結ばれたらしい。
 長い儀式が終わって一対一になると、パンチェンラマは口を開いた。
「どうして自分がここにいるのかと思っているんだね」
「ダライラマ五世は、まだポタラ宮にご健在のはずですね。だったら、ぼくは人違いですよ」(つづく)

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