まるで下女のような扱いだった。お母さんが何でそんな仕打ちを受けなければならないのか、さっぱり分からなかった。だけど、ぼくはまだ小さかったから、水を入れた桶を運んであげることはできなかった。しかたなく、本堂で勤行している坊さんたちに紛れ込んで、パクパク口を動かしたりしていた。配られるバター茶が目当てだった。
ぼくは小僧たちと、チベット文字の習字をさせられたり、若いお坊さんが、仏さまの灯明に溶けたバターを注いだり、ホーンを吹いたりするのを眺めていた。勤行に使う楽器の中で、一番好きだったのはティンシャだった。ひもで結ばれたひらべったい二つの鐘を、振り子のようにぶつけると、いやなことがすべて清められるような、高くて澄んだ音がするからだった。一緒に掃除もさせられたが、ぼくは出家したわけではないから、さぼっても別にしかられなかった。ただ、何もしないで一日を過ごすのが苦痛だった。(つづく)
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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ラベル:チベット,ダライラマ,転生活仏