2017年07月04日

ぼくがダライラマ?(10)

 お母さんは夜明け前に起きて、お坊さんたちのためにお湯を沸かした。バター茶を作ってツァンパと一緒に食べてもらうためだ。それが終わると、若い見習いの坊さんと一緒に、赤くて重い袈裟の洗濯、昼間は広い境内の掃除と、裏にある裸麦の畑に、谷川から汲んできた水をまくように言われたりした。
 まるで下女のような扱いだった。お母さんが何でそんな仕打ちを受けなければならないのか、さっぱり分からなかった。だけど、ぼくはまだ小さかったから、水を入れた桶を運んであげることはできなかった。しかたなく、本堂で勤行している坊さんたちに紛れ込んで、パクパク口を動かしたりしていた。配られるバター茶が目当てだった。
 ぼくは小僧たちと、チベット文字の習字をさせられたり、若いお坊さんが、仏さまの灯明に溶けたバターを注いだり、ホーンを吹いたりするのを眺めていた。勤行に使う楽器の中で、一番好きだったのはティンシャだった。ひもで結ばれたひらべったい二つの鐘を、振り子のようにぶつけると、いやなことがすべて清められるような、高くて澄んだ音がするからだった。一緒に掃除もさせられたが、ぼくは出家したわけではないから、さぼっても別にしかられなかった。ただ、何もしないで一日を過ごすのが苦痛だった。(つづく)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 01:46| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする