2017年07月31日

男はつらいよ 柴又慕情(第9作)

 またもや夢から始まる。さくらと博がヤクザの取り立てに遭い、蒲団まで剥がされていくところを、寅次郎が助けるという場面から。不吉な夢が気になって柴又に戻ってくると、とらやの二階は「貸間」になっていた。さくらと博の夫婦が一軒家を建てるための資金にと、寅次郎の部屋を貸し出したからだった。そこに寅次郎が戻ってきて一悶着。啖呵を切ってとらやを飛び出したのだが、不動産屋に紹介された部屋が、実はとらやだったという落ちがついている。
 今回からおいちゃん役は、森川信から松村達雄に代わった。第八作の撮影後に急逝したからだった。味のある演技だったのが惜しまれる。二代目のおいちゃん松村達雄は、第六作で女好きの藪医者役で登場したから、そのイメージが頭について離れない。
 柴又を飛び出した寅次郎は、金沢で旅する三人の女たちと出会う。その中の一人歌子は、気難しい小説家の父を持つ娘だった。柴又で再会した寅次郎を、頼もしく思う歌子だが、陶工の青年との結婚を父に反対されていたのだった。寅次郎は毎度のように、「いい人」を演じながら失恋する。
 実は、僕は中学生の頃、初めて『男はつらいよ』のシリーズを見たのだが、何作目であるかはずっと分からなかった。旅する女たちと寅次郎の交歓を、「ウィーンの森の物語」のバック・ミュージックで表現する場面を見て、子供の頃に見たのはこれだと思い出した。
 今回のヒロイン歌子役は、吉永小百合が演じている。実に可憐で美しいと思った。中学生の頃、好きだった女優の一人で、初老となった今でも、内面の美しさを感じさせる。早稲田大学の仏文科の恩師が、実は学生時代の吉永小百合を教えたという話を聞いた。授業に参加する日は、ファンが集まって大変だったらしいが、本当によくできる学生だったとのこと。才色兼備の女優は、いつの時代でも貴重な存在である。

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2017年07月30日

ネルヴァルの「緑の怪物」について(3)

 話は褒賞金を得た伍長と縫子の後日譚へと続く。結婚した二人が授かった子は、体が緑色でしっぽが生えていたのである。酒蔵での出来事は幻覚と解釈できるが、我が子が「緑の怪物」では、悪夢から逃れることができない。怪物は癇癪持ちのいたずらっ子に成長したので、夫婦は救いが得られず、苦しみから逃れるために酒浸りになる。
 ここまで至ると、どこからどこまでが現実で、どこからが幻覚かは分からなくなる。二人は酒蔵に住まう悪魔の夢に、夜な夜な悩まされ続ける。そして、十三歳になると怪物は忽然と消える。不信心で罰せられたという、とってつけたような教訓を添えて、投げ出すように物語を終えてしまう。
 物語の一貫性をこれほど無視した作品も珍しい。各場面のイメージが、思いがけない形で結びつけられている。さまざまな宝石の破片を見せられているようで、各場面のつながりは乏しい。要するに、ネルヴァルは怪奇譚の形で、「手術台の上での雨傘とミシンの偶然の出会い」をやったのである。

 思い入れのある作品であるため、拙訳をpodcast(http://itunes.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en)にアップロードしてあります。よろしければ、ダウンロードしてご覧下さい。

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2017年07月29日

ネルヴァルの「緑の怪物」について(2)

 物語は「ヴォヴェールの悪魔」に関する慣用句の解説から始まり、その悪魔にまつわる史実が記述される。語源や歴史といった学問の話と、超自然的な悪魔の伝説が結びつけられているのである。
 次いで、空き家や地下墓地(カタコンベ)から、けたたましい笑い声や、グラスのカチカチいう音が聞こえてくる。しかし、地下には酒の瓶しかないはずだから、それは悪魔のしわざに違いないということになる。
 そこでようやく主人公の伍長が登場する。小説の作法からすれば、ここまで主人公が出てこないのは破格である。しかも、この伍長が怪物退治に名乗りを上げたのは、褒賞金でご執心の縫子と結婚するためだった。瘋癲という語を冠したくなるような人物なのである。
「神も悪魔も信じない」と言い放って、酒蔵で伍長が目にしたのは、優雅な姿で踊る瓶たちだった。伍長が見た物が悪魔のしわざか幻かは分からない。精神の病を患っていたネルヴァルが描く幻覚は、鮮明に視覚に訴えてくる。伍長は瓶を抱き寄せたが、うっかり落として割ってしまう。飛び散ったワインは、女の血を連想させる。それが裸体の女の死体のイメージにつながる。連想が連想を生む幻覚の生々しさに、鬼気迫るものを感じたものである。(つづく)

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