2017年06月22日

ぼくはネコなのだ(46)

 それから極ネコは、かつてのぼくらのように、玄関前のプラスチックの小屋で、一日の大半を過ごすようになった。兄貴の言うには、あれでも一時は母ちゃんの連れ合いだったので、義理のお父さんなのだそうだ。
 ネコのオスにとっては、連れ子は邪魔な存在で、かみ殺してしまうこともあるんだから、それを父親扱いするのは変だと思うのだが。それを人間は「ままちち」と呼ぶらしい。ママで父親だなんて、まったく紛らわしい言い方だな。
 兄貴は億劫がって、ストーブとかいう暖かい箱の前で、居眠りばかりしている。ぼくは裏口のドアが開くと、庭に出て外気に当たることにした。寒くてびっくりするけれど、毛を奮い立たせて進めば、外を歩き回れる自由に、ネコとして生まれた喜びを感じるのだ。いくら冷蔵庫の上にのぼっても、小鳥が止まってることはないのだから。
 天気のいい日には、極ネコは日向に移動してうつらうつらしている。こちらが声をかけても、目だけ動かすばかりで、にらみつけたり声を出したりしてこない。遠くを眺めながら、昔のことを思い出してるようだった。固いえさが食べられなくなり、おばさんはやわらかい肉の缶詰を、極ネコに与えるようになった。あまりにおいしそうなので、半分食べかけた皿に顔を近づけたら、威嚇するどころか、笑ってるじゃないか。何か気持ち悪くなったけど、残りはいただいてしまった。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 02:40| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする