2017年06月21日

ぼくがダライラマ?(8)

 そのとき、家の戸を激しくたたく音がした。こんなに早く! お母さんは急いでぼくに上着を着せた。別れの言葉をかわす時間もない。外には初老の役人と、貧相な顔をした牛飼い、それにヤク二頭が立っていた。
 お父さんはバター茶を飲みかけたまま、お母さんとぼくの荷物を持って出てきた。荷物を牛飼いに渡すと、お父さんはお母さんの手を握った。ぼくは不思議でならなかった。これはおめでたい門出であるはずなのに、どうしてお母さんは泣いているんだろう。また、晴れがましく迎えられるはずなのに、どうして奉公に出るみたいに、こっそり薄暗いうちに出なければならないんだろう。
 西の空を見ると、三日月がまだ沈んでいなかった。うっすらと靄がかかって、吐く息も白く濁っている。役人がヤクに乗ると、二頭目のヤクにお母さんとぼくが乗った。お父さんの顔を見ると、くやしそうに唇の端を噛んでいる。お父さんもこんなはずじゃなかったと、思ってるに違いない。華やかに飾られた輿に乗って、お母さんとぼくの出立を見送るものと思っていたんだろう。 
「すぐに帰ってくるからね」
 ぼくは励ますつもりで言ったが、簡単にはもう戻れないということを、子供ながらも感じていた。牛飼いに引かれて、ヤクが歩き始めた。山道をゆっくり下っていき、いつも羊たちが放牧されてる草地の横を過ぎていく。繰り返してることであっても、いつかは終わることがあるのを知った。(つづく)


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2017年06月20日

西表島は日本のアマゾン(15)

 朝食後、同室の彼はバスで出発した。牛車が浅瀬を渡る由布島や、南部の仲間川の方に行くらしい。僕は自転車を借りて、この島に来た日に訪れた船浦大橋の所まで走ってきた。西表島の大きさを実感したのもここだった。
 まだ潮が満ちているので、あのとき予想した通り、干潟は入江と化して、蛇行した川は水面(みなも)に没している。海中道路から島の方を向くと、ボートが二艘見えるし、弧を描く岸沿いを、ハイキングの若者が七人ほど歩いている。潮の満ち干って、まるで地球が呼吸してるようだと思った。人間とは比べものにならないほど、大きくゆったりとした息だが。もっとここにいたい……。ようやく島の空気にも慣れてきたというのに。もう時間がない。まだこの島の一部しか見ていないのに、早くも別れの時が迫っているのだ。
 みどり荘に戻って、出発の準備をした。車で送ってもらうのはやめ、上原港まではゆっくり歩いていくことにした。荷物が重いので、少し行くと休んでは風景を眺めた。道ばたにはヒルガオが咲いている。雲が広がってきたので、意外と涼しかった。港に着いて岸壁から海面をのぞき込むと、無数の魚が群れをなして泳いでいた。
 石垣港行きの船に乗り込んだ。いよいよ別れの時が来た。僕はまた一人になってしまった。船は猛スピードで西表島から遠ざかっていく。まだほとんどこの島について知らないのに。いつの日か、また訪れることができるだろうか。

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posted by 高野敦志 at 01:14| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

西表島は日本のアマゾン(14)

 部屋に戻ると、エアコンをつけた。夕食前に買っておいた泡盛を酌み交わした。アルコール度30度はかなりきつい。烏龍茶で割ると香りが分からなくなるので、一緒に飲んでちょうどよかった。
 それから、仕事や趣味、旅について語り合った。彼は北海道に行ったことがないので、知床半島を小雨降る中、自転車で走ったことや、嵐の夜のユースホステルでの交歓、礼文島の「汗と涙の八時間コース」の冒険などについて話した。北海道は涼しくて、空気が澄んでいて、視界がくっきりと見える。沖縄は光が強すぎて、目の前が白くなってしまうことなど。
 彼は会社の寮に住んでおり、鍵をかけていないので、戻ると同僚が入り込んでいることがあるそうだ。
「プライバシーなんてないですよ。鍵をかけておくとかえって怪しまれる」
 酔って眠くなっていたので、突然「あの辺は浅いぞ」と叫んでしまった。目の前に珊瑚礁の幻影が見えたためだった。まだ水中を泳いでいる感覚が、体の中に残っていたからだった。(つづく)

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