2017年05月01日

川平湾は海の花園(4)

 驚いたことに、ここにはまだ人が住んでいた。赤瓦を漆喰で固めた琉球時代の建物で、 1819年(嘉慶24年・文政2年)に建てられた。首里の士族の屋敷をまねたもので、部屋の数は12間。周囲は石垣に囲まれている。庭は日本風の枯山水となっており、中国と日本の文化を吸収した沖縄の風土を反映している。
 ちなみに、その頃の琉球王国は、薩摩藩の支配下に置かれていたものの、清朝に朝貢していたため、中国の元号を使っていた。ただ、日本文化の流入は早く、平安時代の末には仮名文字も伝わり、漂着した僧侶によって、日本の仏教も支配層に伝えられた。
 その後、臨済宗の桃林寺に詣でた。創建は 1614年(万暦42年・慶長19年)で、第二尚氏の尚寧王によるもの。八重山には寺社が一つもないことを、薩摩側に指摘されたためだという。山門は赤瓦を漆喰で固めた琉球様式で、日本の禅寺とは雰囲気が異なる。観音菩薩を祀る本堂も赤瓦だから、中国の寺院に詣でたような印象を受ける。
 1771年(乾隆36年・明和8年)の明和の大津波で、八重山の人口の三分の一が死亡した。桃林寺も損壊したが、山門の仁王像は崎枝湾の海岸に打ち上げられた。また、第二次大戦でも被害を受けているから、創建当時の建物が残っているわけではない。

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 02:39| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする