2017年04月28日

ぼくはネコなのだ(29)

 こうしてぼくたち兄弟は、奇妙な家族が住むうちに出入りするようになった。とはいっても、一定の時間がたつと、台所のドアが開けはなたれた。その理由について、ぼくなりに考えてみた。
 要するに、この家の中にはトイレがないのだ。まあ、おばあさんが一定時間、重い腰を上げて、「あいつ」とか「会いてぇ」とか言いながら、部屋を出入りしているところを見ると、人間のトイレはあるらしいのだが、肝心のネコ用トイレがないのだった。
 ぼくたちがオシッコをするのは、単におなかが苦しくなって、すっきりするためだけではない。ここは自分のシマだと、他のネコに知らせる意味があるのだ。
 この部屋に住み込むなら、部屋の中でオシッコをしなければならないのだが、どこにしたらいいか分からないし、むやみにしたら二度と入れてもらえない気がした。そこで、おなかが苦しくなると、ドアの方に近づいて「ニャー」と鳴く。すると、おばさんがドアを開けてくれるから、今だとばかりに、ぼくたち兄弟は外に逃げ出すのだ。一晩も家の中に泊まったことがないのは、そうした理由によるものだと思うのだ。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 03:25| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする