2017年04月18日

ぼくはネコなのだ(25)

 毎晩冷えるようになったなと思っていたら、玄関先に新しいネコ小屋ができた。雨が吹っかけても大丈夫なように、プラスチックとかいうぬれない材料で作られている。体重の重たい兄貴が載っても、ダンボールみたいにへこまない。
 しかも、夜になると中に湯たんぽを入れてくれた。これは本当にありがたかった。ぼくたちネコのふるさとは、遠い遠い南の国だから、北の国がふるさとのイヌとは大違いなんだ。これ以上寒くなったら、病気になるんじゃないかと心配していたし。でも、ちょっとサービスよすぎる気もするが。
 ある日の夕方、柿の木の前で兄貴と追っかけっこしていたら、すうっと裏口のドアが開いた。おばさんが顔を出して笑っている。普通ならすぐに閉めてしまうのに、開けたままにしている。そしたら、好奇心が強い兄貴が、恐る恐る入っていった。ぼくも入ってみたいと思ったけど、何をされるか分からないから、迷っていたら、ドアを閉められてしまった。(つづく)

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2017年04月17日

ゲリー・ボーネルの『超入門 アカシックレコード』(3)

 そういえば、ロバート・モンローは体外離脱した後、「第二の体」からさらに離脱して、純粋な「魂」として宇宙空間を旅している。肉体から離脱した「第二の体」は「魂魄」で、肉体と同じ形をしたエネルギー体の「魄」も離脱の対象ということだろう。これなども、「魂」と「身体感覚意識」の結びつきによって個性が生成されている、というゲリー・ボーネル氏の主張と一致するものと考えられる。
『超入門 アカシックレコード』の巻末には、アカシック・レコードを解読するための瞑想法が記されている。この記述を見ていると、ロバート・モンローの「体外離脱」や、この世とあの世の境界である「フォーカス21」を越えて、宇宙空間を旅する瞑想を思い出した。うまく瞑想できれば、素晴らしい体験ができると思われる。
 ただし、一般の人間が深い瞑想状態に入るのは容易ではない。本書での瞑想を音声化した《アカシックレコードの探究》というCDも発売されている。ただ残念なのは、ロバート・モンローが開発したヘミシンクの音声技術が用いられていないこと。脳波誘導のヘミシンクがなく、呼吸法とイメージ瞑想だけでは達成は容易ではないだろう。また、ゲリー・ボーネル氏の英語と、語学CDのような棒読みの日本語訳では、余りに素っ気ない気がする。
 ゲリー・ボーネル氏の誘導の日本語訳のみを、俳優などに朗読してもらい、背景にヘミシンクの脳波誘導があれば、多くの人間が自宅で学習できると思われる。そうした製品が販売されることを期待したい。

参考文献
『超入門 アカシックレコード』(大野百合子訳 徳間書店)

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2017年04月16日

ゲリー・ボーネルの『超入門 アカシックレコード』(2)

 この本を読んでもっとも印象的だったのは、個人が「肉体」と「魂」、「身体感覚意識」の三つの要素で構成されているという点である。精神と肉体という二元論に慣れた現代人には、ちょっと理解しにくいだろう。仏教の場合も、この二元論の枠組みにはまっているように思われる。
 一方、古代の中国人や日本人は、魂魄というものを想定していた。魂魄を和英辞典で見ると、soulと訳されている。これでは魂魄が理解できない。「陽」の働きをもつ「魂」と、肉体的生命を司る活力である「魄」。人間が死ぬと肉体は破壊されるが、「魂」は天上に昇り、「魄」は地上に残る。ゲリー・ボーネル氏の言う「身体感覚意識」というのは、どうやら「魄」を指すようである。
 ゲリー・ボーネル氏によれば、転生する「魂」は異なる「身体感覚意識」と結びつく。母胎にまず入り込むのか「身体感覚意識」で、胎児が成長してから入るのが「魂」だという。転生した自分が性格や性別が異なるのは、結びつく「身体感覚意識」が異なるからである。ということは、死後に「魂」が存続するとしても、生きていたときに結びついていた「身体感覚意識」も遊離するので、肉体を持たない「魂」は、純粋な精神として存在すると言うのだろう。
 また、「魂」には直線的な時間ではなく、複数の自分が異なる時代で生きているという。一方、「身体感覚意識」の方は直線的な時間に従っている。日本人の先祖崇拝も、どうやら「身体感覚意識」である「魄」に対するものらしい。「魂」の方は成仏するか、別の肉体に転生してしまっても、生前に結合していた「魄」の部分は、生前の特徴を残して地上に留まるようだ。それが「お盆」の期間に、自宅に戻ってくると信じられてきたのではないか。(つづく)

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