2017年02月19日

「パティ・サマーズの動物たちと話そう」

 日本テレビの『天才! 志村動物園』には、動物の言葉を理解するハイジという女性が登場する。彼女はペンギンや水族館の魚の感情も、テレパシーで感じ取れるという。このCDの英語版を作成したパティ・サマーズも、そうしたアニマルコミュニケーターの一人である。
 言語に見られる意味と音による「二重分節性」──意味による最小単位である記号素と、音の最小単位である音素に分節され、限られた音素によって無限の現象を表現できるという特性を、人間の言語は持っている。動物の鳴き声の場合には、特定の鳴き声が特定の意味を直接表しているので、伝えられる内容は鳴き声の種類に限定されてしまう。
 ただ、動物とコミュニケーションする場合、言語ではなく、動物の感情を目の表情や鳴き声、仕草から読み取るのである。モンロー研究所の《ゲートウェイ・エクスペリエンス》には「非言語通信」の訓練が収録されているが、ペットの感情を直観的に読み取ることは、動物を飼い慣れた人なら、日常からやっていることなのである。特に、犬や猫などの高い知能を持つ動物なら、コミュニケーションすることは難しくない。
 今回、半信半疑でこのCDを買って、実際に使ってみた。トラック1では動物とのコミュニケーションの実例が挙げられる。トラック2は実際の訓練である。基本は頭上と足から地球のエネルギーを取り入れて、体内の気の流れをスムーズにする。胸にあるチャクラを活性化し、心を開いてイメージ化した動物を招き寄せる。動物は現在飼っている動物でも、かつて飼っていた動物でも構わない。その動物をイメージしたら、動物になりきって、動物の体の中から何が感じられるかとらえる。
 僕の場合、かつて飼っていた柴犬をイメージし、胸の中に招き入れた。十八年半も生きた犬なので、二十年近く経った今でも、よく覚えている。ヘミシンクと音声による誘導で、意識の深いところに眠っていた記憶、かつて感じていた思いと、犬が僕に対して感じていたであろう感情がよみがえってきた。動物が人間に示す「無償の愛」が伝わってきた。『天才! 志村動物園』で、ハイジにペットの気持ちを伝えられた飼い主のような自分を発見した。

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2017年02月18日

ぼくはネコなのだ(14)

 夕食の時間になった。おばさんが玄関からえさを出したので、兄貴とぼくが近づくと、極ネコのおじさんが出てきて、ぼくたちを追っ払いにかかった。
「ねえ、母ちゃん。お腹すいた!」
 兄貴が構わず出ていくと、おじさんは「ガー」と威嚇の声を出した。ついで、母ちゃんの一言。
「早く、あっちに行っちゃいなさいよ」
 ぼくは耳を疑った。母ちゃんと姿形は同じでも、別なネコの魂でも取り憑いてしまったのだろうか。お腹のあたりを見ると、最近大きくなってきたみたいだ。子供にろくに食べさせないで、皿いっぱいのえさを、極ネコおじさんと山分けしているのだから。
「ほんとにうるさい子だね。もうおまえたちなんか、産んだこと忘れたよ」
 ぼくはショックで、身震いしてしまった。普段は鈍感な兄貴も、毛を逆立てると、お尻を山のように盛り上げた。これは母ちゃんから発せられた、兄貴とぼくに対する縁切り宣言なんだろう。(つづく)


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2017年02月17日

ソダーバーグの『ソラリス』

 スタニスワフ・レムの小説を映画化した物としては、アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』が有名だ。ソラリスという惑星は生命を持っており、接近する人間に幻覚をもたらし、脳裏にある考えを物質化する。そのために、現実と非現実の区別がつかなくなり、どこまでが考えたことで、どこからが行動したことかも分からなくなる。ソラリスをめぐる宇宙論については、原作で最も詳しく語られているし、タルコフスキーの作品でも、それが謎として提示される。一方、スティーブン・ソダーバーグの作品では、それが前提として物語が展開するため、原作を知らないと分かりにくいかもしれない。
 実は、ソダーバーグの『ソラリス』を見たのは二度目である。映像の解像度が高いのは気に入ったが、映像の美しさではタルコフスキーの作品にはかなわない。主人公ケルヴィンの亡き妻との幻想的なダンスなどの見せ場は、ソダーバーグの『ソラリス』にはない。執拗に現れる亡き妻は、付きまとう亡霊そのもので、恐怖映画のようである。原作を単純化し、とにかくシンプルな筋に仕立ててある。タルコフスキーの『惑星ソラリス』を見たレムは、フョードル・ドストエフスキーの『罪と罰』のようだと評した。これは必ずしも酷評ではない。宗教的な罪悪感と許しという要素が加わったわけだから。
 ソダーバーグが描くのは、妻を自殺させた男の妄念ばかりで、そこに甘美な思いが入る隙はない。映画の最後で、ケルヴィンは宇宙船からの脱出を試みるが、地上で指を切った記憶が再現されることから、脱出も幻覚でしかないことが明らかになる。宇宙船がソラリスに突入する寸前、ケルヴィンの前に亡き妻が現れ、すべては許されると告げてキスをする。それは死を意味する。だから、この映画は始めから終わりまで、出口なしの状態の反復で、SF仕立ての恐怖映画というわけである。

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