2017年01月10日

「ゴーイング・ホーム」私見(12)

「自由遊泳」は「飛翔」で行った訓練の応用である。「飛翔」では屋外に出ると、言葉をしゃべる鳥に空を飛ぶように促されるが、ヘリコプターに乗り込んで、雲の上に出たところで、大空に身をゆだねて飛翔する。
 今回も野原に出ると、しゃべる鳥が出てきて、ヘリコプターなど使わずに、大空を飛ぶように促される。どうするかと言えば、伸び上がるだけで飛んでいくのである。サン=テグジュペリの『星の王子さま』の中で、王子が昇天するときに立ち上がった姿を思い出した。肉体は死んでも魂は大空へ飛翔していく。
 何だ、単にイメージするように暗示をかけているだけじゃないかと、言われそうな気がするが、このプログラムは古代インド人のように、この世はすべて意識が生み出した幻という立場に立っている。大空も宇宙も、意識を外部に投影したイメージに過ぎないのだから、大空を飛ぶことだって可能だと考えるのである。
 大空を飛翔していくと、明るい光の差し込むアーチの中に、懐かしい場所が見えてくる。そこには、今は亡くなってしまった身内や友人、ペットもいる。そこへ行きたいという思いが生じることで、死を受容することができるわけである。死後に意識が残るかどうかは別として。(つづく)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 02:37| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする