2016年12月21日

「ゴーイング・ホーム」私見(7)

 ヘミシンクの体験は、禅で言う魔境のようなものかもしれないし、道教の修行のように、仏教の悟りの境地からすれば、迷いの世界にとどまっているのかもしれない。その一方、ロバート・モンローの体系では、仏教徒もフォーカス25の信念体系領域にとらわれているという。悟りを求めて執着しているということか。
 フォーカス26では、個人的な宗教体験をした人々が、排他的な世界を築いているとされる。ここでは何も感じなかった。そして、フォーカス27が《ゴーイング・ホーム》でたどれる最も高次のフォーカス。「公園」と呼ばれ、魂がしばしの休息を取り、次の輪廻に備えるところだという。今までは林のような、光が十分に当たらない世界だったが、フォーカス27になると大空が見えて、世界に広がりを感じた。フォーカス27にたどり着けた魂は、とらわれから解放されて、安らぎを感じるという。
《ゴーイング・ホーム》では、人々の声や楽器の音が、今述べたような幻像を誘導しているのだろう。だとすると、これは催眠誘導の一種ではないかという疑念も生じるが、ロバート・モンローの世界観を信じる人は、たとえ誘導しているにしても、そうした世界を死後の魂は体験すると主張するだろう。
 ここで、今までの疑問を整理するとしよう。第一に、「死後世界ツアー」のような体験が可能だとしても、それは生きている人間が見る幻像であって、死後の世界は実在しないという可能性がある。第二に、死後に魂が存在したとして、ロバート・モンローが提示したような形で、死後世界が現れるかどうかは分からない。というのも、死後の世界が精神世界だとすると、精神が想像したものがそのまま世界になるからである。とらわれの世界を抜けて「公園」にたどり着くのは、ロバート・モンローの世界観を信じる人だけかもしれないということである。(つづく) 

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 00:33| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする