2016年12月17日

正木晃の『性と呪殺の密教』(2)

 現代チベットの仏教僧侶も、宗教をビジネスとしている側面があるが、それは不毛な高原の国に生きるチベット人が、厳しい自然環境の中で体得した知恵だという。しかも、ドルジェタクが生きた中世のチベットでは、僧侶が自身の宗派の生き残りをかけて、呪殺を繰り返していたという。高僧を呪い殺す験力が、宗教者としての名声を獲得するには不可欠だった。
 そのためには、並外れた生命力が必要で、うら若い少女とセックスヨーガをして、精気を吸い取る必要があった。解脱するためだけだったら、在家の密教行者が妻を相手にしていればいいわけだが、敵の高僧を呪殺するためには、精気を吸い上げ続けなければならず、行者と同年齢の女性の場合、衰弱して病気になってしまう。それを防ぐには、十代の少女とセックスする必要があった。こうした面から見ると、随分てめえ勝手な仏教である。堕落した仏教というそしりもあながち的外れとは思われない。
 ドルジェタクが行った呪殺は「度脱法」と呼ばれる。「度脱」という語は、人々を煩悩から救うことを意味するが、「度脱法」では敵を呪殺して文殊菩薩の浄土に送り届ける。たとえこの世で呪い殺しても、罪を重ねる前にあの世で成仏させるのだから文句ないだろという論理である。
 日本の密教でも呪殺は行われていた。「調伏法」「降伏法」と呼ばれる。仏敵や反逆者を呪い殺すことは正当化されていた。ただし、チベットのように、験力を競い合うのが目的で呪殺が行われることは、珍しかったようである。雨乞いの祈祷をして、験力を競い合うことはあったが。呪い殺された相手が人々に危害を与える恐れがある場合は、神として祀ることで怒り狂う魂をなだめた。いわゆる御霊信仰である。その点では、仏教と神道が役割分担していたというわけである。


主要参考文献
 正木晃『増補 性と呪殺の密教』(筑摩書房)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 02:05| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする