2016年12月12日

白山のふもとにて(5)

 さて、別当出合という地名に出てくる「別当」だが、神仏習合の時代に、神社を管理していた寺院の長を指す言葉で、神社の中に設けられた寺院を「別当寺」と呼んだ。白山は奈良時代の僧泰澄が開山した修験道の山だった。
 ところが、明治維新の「神仏分離令」で、日本の神は仏が仮の姿で現れたとする「本地垂迹説」は否定された。神仏習合の修験道は、新政府から禁止の通達を受け、全国の山にあった修験者の寺院は、強制的に神社に改組させられた。街中の神社に併設された別当寺も、分離させられるか破壊された。ここ白山でも、山頂にあった仏教施設は、すべて排除されてしまった。
 別当出合から車で下りていくと、白山本地堂という案内板が見えた。白山は廃仏毀釈でふもとの白山寺も廃寺になり、白山比刀iひめ)神社への改組を余儀なくされた。排除された仏像をいたわしく思った林西寺の住職が、白山を開山した泰澄大師坐像や、観音像、阿弥陀如来像を引き取り、白山本地堂を建てて祀ったという。ちなみに、修験道は天台宗や真言宗と関わりが深いが、林西寺は浄土真宗の寺院である。
 白山比盗_社が近いことが分かったので、友人に頼んで寄ってもらった。廃仏毀釈の前は、白山寺白山本宮だった所。境内には杉の大木が植わっている。それを除けば、修験道が盛んだった頃の面影は何もない。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
http://itunes.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en

Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

posted by 高野敦志 at 01:54| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする