2016年10月22日

「ゲートウェイ・エクスペリエンス」私見(23)

 ただ、「非言語通信」がどこまで有効か、疑問がないわけではない。ハイヤーセルフ(高次の自己)や、故人との通信だったら、言語で行っても構わないのではないか。シャーマニズムの神がかりなども、母語を通じて行われているのだから。僕自身の場合も、夢などで示唆的な言葉を聞くことがあるが、それは日本語で行われる。英語が聞こえることもあるが、重要な内容は日本語でもたらされる。
 ガイドが人間とは限らないから「非言語通信」が必要だというなら、単語の羅列ではなく、複雑な内容はどう伝えられるのだろうか。「こんにちは」「有り難う」「さようなら」ぐらいなら、ジェスチャーや表情で表せるが、抽象的な議論などお手上げである。
 夢の象徴を用いて、コミュニケーションできるのだろうか。例えば、「ネクタイ」が出てきたら、これが単なる服飾品なのか、社会的地位を表すのか、ペニスの象徴なのかは、当人が見ている夢の中で解釈されるべきである。自分自身の無意識が表現したイメージを、解釈することは可能だろうが、他人と象徴的なイメージを元にしてコミュニケーションした場合、双方に解釈のずれは生じないか?
 例えば、「社会的地位を求めよ」という意味で、「ネクタイを探している」イメージを発信したのに、受け手は性的な意味でとらえてしまう恐れはないか?(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 01:48| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする