2016年10月09日

野間宏編『小説の書き方』(7)

 告白体の小説は物事を掘り下げられるかわりに、一人の視点からでしか問題がとらえられない。神の視点から描く十九世紀的なスタイルの小説は、ともすると外面的な描写に走り、話の筋の面白さに終始する傾向がある。そこで両者を折衷した構造を持つ小説も現れてきた。例えば、告白体のスタイルを取りながらも、複数の人物の手記を組み合わせたものがある。告白体で事態の全体像をとらえようとする試みは、芥川龍之介の「藪の中」などでなされており、それが黒澤明の名作映画「羅生門」を生んだのである。
 ただし、この手法は実験的性格が強いので、作品の統一感を著しく損なう危険を伴っている。そこで選ばれた方法は、神の視点に立って書きながらも、登場人物の心理に自然に入り込むものである。フランスの現代作家が多用する技法に、「自由間接話法」というものがある。
 英語やフランス語などでは、話法は直接話法と間接話法に大別される。直接話法は登場人物の会話を括弧でくくり、地の文との境目を明確にする。一方、間接話法では地の文との一体感を確実にするため、人称代名詞を三人称にしたり、時制の一致などが行われ、会話の内容を説明調で伝えることになる。
 実際に口にされた話なら、直接話法の方が生き生きとするが、人間の心理を描く場合に間接話法が続くと、説明調に終始して読者が主人公に一体化できない恐れがある。神の視点に立つ小説に作り物っぽさが伴うのも、そのあたりが関係しているようである。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
http://itunes.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en

Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

posted by 高野敦志 at 03:44| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする