2016年10月01日

野間宏編『小説の書き方』(5)

 何を書くかの大枠が決まり、書き始める段階で決まっていなければならないのは、その作品が持つ構造である。欧米文学に詳しい人は、十九世紀の文学と二十世紀の文学の違いについて、次のように語るだろう。
「バルザックのように神の視点から、社会の全体像をとらえようとする方法は、科学万能主義の当時だから通用したもので、そこには真実らしさという点で大きな欠陥がある。現実というものは不透明であって、被造物を扱うような権限を作家は与えられていない。プルーストやジョイスが始めた意識の流れを扱う小説こそ、人間の深層心理に焦点を当てた現代的な小説と言えるのである。また事物の描写の中に主人公の意識が染み渡るようにして、作者の思想が前面に出ないようにしたフローベルこそ、二十世紀文学の先駆けと言えるものである」と。
 これには一理あるのは確かだが、それだけに固執すると文学というものが矮小化されてしまう恐れがある。一人の人物の視点に描写を終始させてしまうと、そこには真実らしさはあっても、ダイナミックな人間関係はとらえきれず、ある一面からの描写しかできなくなる。また、人間の深層心理への過度のこだわりは、人間相互のコミュニケーションという観点を見落とす恐れがある。(つづく)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 00:15| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする